ゆめのブログ

30代女の独身生活ブログ

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ついにブロガーだと名乗ってしまった。

 

 

 

ブロガーを名乗ってしまった

昨晩のこと。恋人から電話があった。ディープな話しをするにはもってこいの時間だ。

彼は言った。

「このままサラリーマンを続けていていいのか悩んでいる」と。

そんな話の流れから、副業をするかしないか?とか、脱サラして個人事業を始めるか?という話になった。

 

彼はYouTubeチャンネルを持っている。始めたばかりなので、登録者数に一喜一憂しているようだ。激務のサラリーマン業の傍ら、YouTubeの動画編集をしていく生活に疲れているようだ。そして「このまま続けて意味があるのかな?」と思い始めているようだった。

 

悩める彼の言葉を聞いているうち、つい私は「ブログで副業をしている」と口を滑らせてしまった。

なんということだ。1年半もの間、内緒にしていたのに。私としたことが、深夜のディープな会話の流れに乗せられてしまった。

私はブログを書いていると人に話したことがない。他人に「ブログ書いてます」とは恥ずかしくてとても言えない。なぜなら、アクセス数もとてつもなく少ないからである。劇的に少ないのだ。

36歳実家暮らし独身女のイタイ感じが満載だからだ。自覚はしている。

心の内を吐露した記事だってある。心の中を丸裸にして、全世界に発信しているようなものだ。冷静になって考えれば恥ずかしいったらありゃしない。

それでも、私はこのブログを愛している。どの記事にもその日毎に感情が違っていて、読み返すと過去の自分が今の自分に語り掛けてくれているような感覚になれるのだ。

 

決して恥ずかしいことではない…とは思っている。ブログを立ち上げた1年半前よりもアクセス数は確実に伸びている。ほんの少しは自信があるのだ。

だから別に隠すことでもないが、わざわざ人に話すことでもない。ひっそりと静かに書いていたいと思っていたのだ。

 

気にしない。

人は自分の心の内をさらけ出すことが怖いと感じる。もし、心の内をさらけ出して否定されたり、バカにされたりでもしたら傷つくのだ。だから心の内をさらけ出しているこのブログの存在を隠しておきたかったのだ。

しかし、いくら口が滑ったと言っても、話してしまったことはもう戻らない。犯罪を犯しているわけでもないし、誰かの誹謗中傷をしているわけでもない。

ただ、発信している自分に慣れていないだけだ。36歳になった私は結構図太くなったようだ。

「まぁ、どうにでも思ってくれ」くらいの気持ちである。もっと若かったら、恋人に自分の恥部をさらけ出した後のことを考えて悶々と悩んでいたに違いない。

しかし、これまでの人生で恥をかいてきたのは今に始まったことではない。

思い返せば、まさに恥の多い人生である。

20代の頃はメンヘラ気質があった。八王子駅で彼氏に大声で怒鳴りながら大泣きしたこともある。典型的なかまってちゃんだった。

モラハラ男に心酔していたこともある。最終的には別れることになったが、別れ際にモラハラ男は大暴走し、嫌がらせをしてくるようになった。結果、警察にお世話になったこともある。両親には呆れられた。

ハワイに旅行したかと思えば、ビーチで声をかけてきた現地の男と連絡を取り合った。ハワイに長期滞在するために仕事も辞めた。そして、その男の家に1か月も居座った。(ルームメイトに日本人の女の子が居たので危ない目には遭っていないが)

私は後先のことを考えない性質があるようだ。自分でも自覚しているがこう書いてみると恥ずかしさがこみあげてくる。

もっと慎重になれよ…と言ってやりたい。あぁ恥ずかしい。

だから、今更になって恥ずかしいなどと気にしてはいられない。そんなに清廉潔白ではないのだ。もうすでにイタイ女なのだ。

 

仲間になれるかも?

1年半の間ひた隠しにしてきたこのブログの存在を彼に打ち明けた。

その時の彼の反応は「え、すごいじゃん」と。

彼は優しかった。私のブログを否定しなかったのだ。

そして彼は「そのブログの原稿を見せて欲しい」とまで言ってくれた。心意気は嬉しいが、それは絶対にできない。彼と付き合う前の恋愛のことも書いているのだ。トラブルになりかねない。立たせる必要のない波風だ。

 

申し訳ない気持ちもありつつ、彼の申し出はお断りした。ごめんね。さすがにそれはできないよ…(+o+)

とにかく、私が思っているほどブロガーであることを隠す必要はなかったようだ。ありのままの自分をさらけ出してみるのは怖いけれど、受け入れられなかったからと言って気にする必要は無いと思う。受け入れてもらえたら、最高に幸せだ。

 

自分が思っていることや、大切にしていることを好きな人に知ってもらうだけで心は少し軽くなる。幸い、彼はYoutuberだから、発信者として仲間にもなれるかも知れない。

悩みや思いを共有できることは嬉しかった。

ひとりでブログを書き続けるのも悪くない。でも時には、同じようなことをしている仲間を見つけてみてもいいのかも知れない。

そんなことを想った夜だった。

 

 

機嫌の悪い男の対処方法は永遠の難問である

本日は、ある男性の先輩と1日仕事をしていた。バイト先の仕事である。普段は女性5名の職場なので、男性と一緒に仕事をするのはバイト先だけ。

 

3名の男性仲間と共に仕事をしていた。朝から不機嫌な男がひとり。どうにも元気がないらしい。始業時から終業時まで一貫して冴えない表情、口を開けば文句か後ろ向きな発言ばかり。

一緒に仕事をしていてこちらの心が重くなるのを実感する。さて、ご機嫌のよろしくない男性の対処方法は…?

 

対処方法:原因を想像してみる

機嫌のよくない男性がいた場合、その原因を想像してみる。家庭の問題?奥様と喧嘩したか?娘に「お父さんうざい」と言われたか?社内の偉い人と意見を戦わせたか?同僚に裏切られたか…?

 

だいたい、このどれかに当てはまるのではないだろうか?お金の問題や趣味の問題が、彼ら男性のご機嫌を損ねることはあまりないと思う。たいていは人間関係の問題が原因である可能性が高い。

 

想像はしてみるものの、その話題には絶対触れないことにしている。火に油を注いでしまうだけだから。雑談だけにしておくのが無難である。うっかり自分を傷つけないための方法である。

 

ご機嫌の悪い男性の言葉は、穏やかな口調であっても)殺傷力が強いのだ。毒舌の度合いがキツイ。女性のちょっとした愚痴は聴き慣れているし、自分も言い慣れているから驚くことはない。

男性の愚痴は聴きなれていない分、その鋭利な言葉にあっさり傷つけられる。機嫌の悪い男性が置かれている状況とイメージしたとしても、決してこちらはその話題に触れてはいけないのだ。

 

対処方法:放っておく

仕事仲間なのだから、仕事だけの関係であって私の好きな人でも何でもないのだ。その人のご機嫌を取る必要は全くないのだ。

私の心の余白は好きな人のためだけに用意しておいた方が絶対に幸せになれる。ご機嫌の良い人と話した方が自分にとってはプラスである。絶対だ。

男女にかかわらず、前向きで物事を素直に受け入れられない人と話をするのは時間がもったいないのではないだろうか。

だから、放っておく。関わらないほうが良い。

対処方法:気づかなかったフリをする

放っておくというのは、「気づいているけど触れない」と言う状態。

 

それだけではまだ自分を守り切れないときがある。「不機嫌な人」だと気づいた瞬間から、こちらの心は萎縮して緊張してしまうからだ。だから「そもそもあなたが不機嫌だったことに気づいていませんよ」というスタンスで接するのだ。

 

このような態度をとると、往々にして男性は逆にイライラするようだ。「おい気づけよ、察してくれよ」みたいなオーラをバンバンに出してくるのだ。

そしてそれは、こちらもしっかり気づいている…と思う。気づいたとしても、仕事はしなくてはいけない。

 

本来すべきことは、不機嫌な男性のご機嫌を取ることではない。与えられた仕事をすることなのだ。だから、「不機嫌な男性」のオーラは見なくていい。感じ取らなくていい。察しなくて良い。

空気の読めない女で良い。だって、誰にでもいい顔してご機嫌取っていたら本来の仕事に影響するじゃないか。目の前の仕事に集中するべきだ。

言葉にするのは簡単だけれど、少し上の先輩や上司の機嫌が悪いと気づいてしまうと、これがなかなか難しい。

「あ、機嫌が悪いな」と気づいてしまう。36歳は気づいてしまうのだ。残念だ。エネルギーが消耗するだけなのだ。

 

もっと自分に自信をもって

家庭での出来事、組織の上層部と一般社員との間に挟まれた中間管理職の責任、思い通りにならない仕事の成果…

男性たちはきっといつも何かに追われているし、成果を出せない自分とその恐怖と戦っているのは理解できる。

だけど、それとこれとは別である。

目の前の仕事に打ち込むべきではないのか。ちょっとご機嫌が悪いからと言って後輩に「俺、機嫌悪いから」と堂々と話すのはいかがなものか。

 

男女関わらず、もっと気持ちをフラットに保てる人と関わっていくべきではないだろうか。私はあなたの妻でも恋人でも母でもない。理解者でもない。

ただの後輩だ。あなたのご機嫌を取っている暇はない。

そのくらいの自信を持って良い。30代も後半に差し掛かり、図太さを少し身に着けても良いだろう。

「いい子」「いい人」でいなくてはいけない、という心を縛る呪文はもう解き放っていいと思うのだ。

 

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祖父との最期の別れ(暗い話ではないです)

祖父が天に召された。91年に及ぶ長い人生の幕を下ろしたのだ。

祖父は最後の瞬間まで「あなたはこのまま独りで生きていくのですか?」と私に問い続けてくれた。

 

他でもない私自身がずっと目をそらし続けていたことを、臆することなく私に問い続けてくれたのだ。

 

感謝しかない。祖父がそう言い続けてくれたことは、私が「結婚」という人生のステップについて定期的に考えるきっかけになっていた。

 

もし、祖父が問い言い続けてくれなかったら、私は安易に「結婚」から逃げただろう。真剣に考えることもなかっただろう。

両親を含め周囲の人たちは、36歳になる私に「結婚」の話題には触れてこない。気を遣ってくれる、私と言う個人を尊重してくれる優しい世の中の風潮は、私の人生における重要な課題から目を逸らせてしまっていたのだ。





 

 

喧嘩した日

20代後半のころ、祖父と大喧嘩し1年近く会話をしなかった時期がある。原因は祖父が私に見合いをすすめてきたからだ。実際にお見合いは実行された。

 

私にとってその相手は不足のない方だった。高学歴で、大企業にお勤めで、真面目で優しい人だったのだ。

それでも私の女心が動くことはなかった。単に私のDNAが反応しなかっただけなのである。女としてそのお見合い相手に心を揺さぶられることはなかった。

そんな結果になったことに対して、祖父は「お前に相手を選ぶ権利などない!」とお怒りになったのだ。

なぜ私に選ぶ権利が無いのだ、権利が無いのなら私は誰も選ばない。このまま独りで生きていくという選択肢だってあるはずである。

「いい加減にして!私は仕事に邁進する人生を選びたい!誰かに結婚をすすめられるなんて絶対に嫌だ」と主張した。

祖父は「だったら誰が良いんだ?!」と反論した。私は答えた「木村拓哉福山雅治みたいな超絶イケメンをリクエストするわ!」と謎の反論を返した。

 

祖父は呆れていた。男は顔じゃない…とう呟いた。顔じゃない、性格だと主張する祖父。イケメンを強く求める私。

私と祖父は「結婚」というテーマの話し合いは果てしなく遠い平行線をたどっていた。

とにかく祖父は私に妻になり、母になる幸せを得て欲しかっただけなのだ。

好きな人さえ大切にできない自分の情けなさを祖父に指摘され、図星過ぎてカッとなっただけなのだ。

おじいちゃん、ごめんね。あの時、私は恋愛さえできない自分の不甲斐なさや情けなさで心が荒んでいたの。おじいちゃんの優しさや、おじいちゃんの愛情には気づいていたけれど、素直になれなかったの。

 

それから半年が経った頃…

反省したかと思いきや、またも新たなお見合い案件を持ってきた。そして私は懲りずに祖父に言った。

 

だから、結婚なんてしないって言ってるでしょ!?と強く主張してしまった。

私と祖父は10年以上もの間、結婚についての落としどころを見つけられないまま最後の別れを迎えることとなった。

 

祖父は静かに諦めた

亡くなる3日前まで、祖父は「あなたはまだ一人で生きていくつもりですか?」と語りかけた。

 

最期まで私は「はい、その予定です」としか言えなかった。まだまだ、結婚へのステップを踏み出せるかどうか悩んでいるからだ。

そして祖父は言った。「そうか。それもひとつの人生かも知れないな」と言った…ような気がした。あちらも頑固だ。

スッキリ心から「独身の初孫」を受け入れられなかったのかも知れない。それでも、私の幸せを願ってくれていたのだ。

私の思う幸せと、祖父のイメージする幸せに大きな乖離があって、私があまりに頑固で頑なになり過ぎていたのかも知れない。

私のこれから

私には明日がある。明後日もきっとやってくる。これからの毎日には「あなたは結婚するんですか?」と心から問いただしてくれる人はもういない。

私はひとりで「結婚」や「幸せ」について考えなくてないけない。誰かに諭されなければ考えられなかった私は、今日から一人で考える人間になるのだ。

 

祖父は長い時間をかけて、私に問うてくれた。

あなたは、結婚して愛する人と歩む人生を選ばなくても良いのですか?と。

これからは私が私に問い続けることになるのだろう。

 

 

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日曜日の人間関係が悩みの種

今日は日曜日だ。仕事は休みなのだ。私は趣味でフルートを吹いている。市民オーケストラに所属させてもらっている。他の楽器と一緒に演奏するのは楽しい…はずだった。



 

仕事以外の人間関係

仕事での人間関係に悩むことはよくある話。プライベートでも人間関係に悩みたくはなかった。しかし、今、非常に頭を抱えている問題がある。

所属する市民オーケストラでの人間関係、である。どうにも自分が馴染めない感覚がぬぐえないまま1年が過ぎている。

楽団員が主体となって定期演奏会やクリスマスコンサートを行っている。私はうっかり、ステージの演出を考える係を引き受けてしまった。この演出係が厄介だった。

 

演出係の仕事は、曲ごとにステージのバックライトの色を何色にするか?どのタイミングで変えるか?ソロ奏者のピンスポットライトを使用するか?などを考えるのだ。

 

たったこれだけの作業なのだが、係のメンバー内で意見がぶつかるのだ。演出案を提案する人が居たかと思えば、それに反論する人が居る。譲歩案を見つけられないまま、「怒った調子で言われた」とか、「返事がない」とか論点が全くズレていくのだ。

 

最近の子どもでもこんなコミュニケーションはしないはずだ。まったく呆れてしまう。

それにこれは業務ではない。皆、音楽を楽しむために集まっているはずではないのか…喧嘩してどうする。大人げないメールのやり取りが行われている。

 

これはフーテンの寅さんスタイルで生きる私には非常にストレスがかかる。聞こえない振りをして、理解できないフリをして、会話には加わらないことにしている。

信用されずとも構わない。顰蹙を買っても構わない。私は、人と人の小競り合いに巻き込まれるのはごめんだ。しかも、今日は日曜日なのだ。

情けない性

他人の小競り合いをみて快く思っていないにも関わらず、私はその場から立ち去れない(係を抜けようとしない)のだ。

 

これは私の悪い癖である。

 

一度引き受けた役割を「断ることができない」のである。日本人特有の調和を重んじる性格かと思っていたが、どうやら日本人かどうかは関係ないようなのだ。

 

人間関係に悩むようになったら、あっさりとその場を立ち去ることができる人はいる。珍しくない。結構いる。かなりいる。フェードアウトなんて日常茶飯事だ。

 

私もそうすれば良いのだが、これがまた難しい。係以外の方々はとても純粋に私の未熟なフルート演奏をサポートしてくれているのだ。

つまり、係の仕事以外は何の問題もないのだ。他の人に情が移ってしまっている。

放っておいて欲しい。

私は私のペースでスキルを上げて皆の演奏に参加したいだけだ。おじさんとおばさんの小さな喧嘩に巻き込まれるために参加しているのではない。

3年前の断捨離を思い出す

私は3年前に人間関係を断捨離した。あるダイビングショップとの交流を絶ったのだ。思い返せば、その時も1年くらい悩んだことを思い出した。

 

ダイビングライセンスを取ったばかりの未熟な私のスキルアップに付き合ってくれたショップの社長や一緒に潜ってくれた仲間がいた。彼らに非はなかった。

 

その人間関係を断捨離しようと思ったキッカケは、他の客の質が低下したためだった。マナーを守らず、陸でも海でも人に迷惑ばかりかけるお客さんが常連になってしまったことだ。

 

酒の飲み方も品が無く、食事のマナーも良くない、どこでも煙草を吸い、吸い殻はポイ捨て。ダイビングスキルも未熟で、サンゴ礁を壊しながら泳ぐ姿を見て辟易したのだ。

 

この客を常連にしていくというのなら、私はここから去る。

 

そう決めてから実行するまでに1年もの時間を要してしまった。フェードアウトするように連絡の頻度を下げ、最後は思いきりグループトークから退会した。

その後2度とそのコミュニティに戻ることはなかった。

 

きっと今回もそうなるだろう。違和感に気づき始めてから1年が経っている。来たる6月に定期演奏会がある。良い区切りだ。

ここで私はこのコミュニティから卒業したい。

 

ドライな性格の良し悪し

問題は、この私の性格である。人間関係が深く長くなるほど、窮屈に感じるのである。どうにも、「特定のコミュニティ」に根を下ろせない性格なのだ。

 

ダイビングもフルートも大好きなのだ。どちらもスキルを上げていく過程が楽しくて仕方がない。続けていきたい。でも、それに付随する人間関係が厄介だと感じてしまうのだ。

 

こんな自分の性格が恐ろしいと感じてしまう。

どうしてもっと緩やかに人とつながっていられないのか、と思ってしまう。何度も何度も学生時代の友人も、前職の同期も、区切りの度に離れてしまうのだ。

 

しかし、このドライな性格は決して悪いこととは言い切れないと思う。人が丁寧に接することのできる人数はある程度決まっていると思う。

所属するコミュニティが多い人もいれば、ほんの少数の人としか関われない人もいる…はずだ。私は、厳選に厳選を重ねて今の人間関係を残している。

 

最も大切なのは、自分の家族と女友達3人。そして今の恋人である。それ以外の人間関係は必要ない。

ここまで減らすのに、10年もの時を要した。

これからは、その場その場で必要な人間関係を調達していけば良い。時の流れと共に自分に関わる人間関係も新陳代謝をしていく必要があると思うのだ。

自分も年を重ねるだけ、自分のことがよく分かってくる。独りでじっくり自分と対話していけば、人間関係もミニマリストになって良いと思う。

衝動的にリセットするのではなく、徐々に距離を離して、人間関係の色を薄くしていく感覚で良いと思っている。

 

自分の心のエネルギーを消耗してしまう人間関係には身を置かないことが必要だ。

自分の心を守るために。

 

 

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転職を決めたけど、同僚に感謝の言葉を伝えてみようと思う。

退職を決めている。正直、会社を去ることの理由はかなり複雑で、小さな小さな「自信喪失」の積み重ねが、結果としてこの会社で続けていく自信を失うこととなった。

 

この気持ちになるまで、葛藤があった。

  • 礼儀知らずのモンスター同僚がいること
  • そのモンスターに影響されたのか、他の同僚のモチベーションが低くなってきていること
  • 社長の経営ビジョンが理解できなくなったこと

とにかくモンスター同僚(60代女性)が元凶なのだ。このまま一緒に居たら、彼女をせめてしまいそうだ。彼女の今までのキャリアを罵倒してしまいそうなのだ。

 

しかし、他の同僚には今も変わらずに助けられている。他の同僚が頑張っている姿と励まされるし、新しい発見や学びがあるのも事実だ。ここのところ、自分のモチベーションの低さとそれを復活させることしか考えていなかったので、他のモンスター社員以外の人のことが見えていなかった。

 

狭くなった視野に気づいた。他の同僚はモンスター社員に惑わされずしっかり自身の仕事を全うしているのだ。

 

 

先輩事務員さんの諦めない心

人を褒めたり、励ましたり、自分を成長させてくれたことに対して感謝の気持ちを伝えることは、つい忘れがちである。私の雑な性格がそうさせているのだが、思っているだけでは伝わらないのだ。

 

マイナスの感情も含め、思っていることは冷静に言葉にしてみなければ決して相手には伝わらない。

 

今日、ある先輩事務員さんが取引先とのトラブルを解決してくれた。売上未回収になるかどうかの瀬戸際だったが、彼女が粘り強く取引先と交渉してくれたおかげで、売り上げ未回収にならずに済んだのだ。

 

取引先の担当者があまりに知識が無く(新人さんだったのか?)、話が通じないことが最も難題であった。そもそもこちらの要求や質問に答えられず、度々「ちょっとお待ちください、確認します」といって電話口を保留にしてしまうのだ。

 

一度はその取引先の曖昧な返事で納得した様子で電話を切った。しかし、先輩事務員さんは「やっぱりこれはおかしい、もう一度確認してみます」といって粘り強く、事情を何度も説明し、正確な回答をもらうことができた。

 

ファインプレーである。素晴らしい。未回収になってしまう金額は180円だった。たった180円であるが、それでも「たった180円」などと思わずに諦めなかったのだ。

 

私ははっとした。転職を決めてからと言うもの、出勤から退勤まで「ま、いっか」と妥協が多くなっていたように自覚している。これではいけない、確かに退職は決めているものの、だからと言って今の仕事をいい加減にやっていいことにはならない。

 

先輩事務員さんの「諦めない心と姿勢」に感銘を受けたのだ。改めて、私もこうやって諦めずに最後までひとつひとつの仕事をやり遂げていくのだ、と気づかされた。

 

素直に感謝を込めて伝える

先に紹介した先輩事務員さんの行動は特に珍しいことではない。普段当たり前のように彼女はそう言った集中力を発揮して仕事に従事している。

 

転職を決めて、自分の職場を俯瞰して見たからこそ改めて彼女の集中力に気づいたのだ。そのことを私は彼女に率直に「昨日はありがとうございました、あなたがもう一度聞いてみる!と言ってくれたから、私も改めてモチベーションが上がったよ」と話してみた。

 

彼女は「いえいえ、いつもと同じですよ」と言った。確かに、彼女は嬉しそうにするでもなく、本当に「当たり前のことです」と答えただけだった。私が改めて感謝の気持ちを伝えたことに対して、彼女がどう感じたのかは分からない。

でも、私の心は温かくなった。感謝の気持ちは伝えられる側だけでなく、伝える側の心にも温もりを与えてくれると気づいた。

 

職場の雰囲気をよくするために相手を褒めよう、とか、離職率を上げないためにスタッフの悩みを聞いておこう、とかそんな下心をもっていた自分に気づいた。そんなことではない、素直に「素晴らしいと思ったことを伝えるだけ」で良いのだ。

 

管理職の人材マネジメントは確かに難しい課題ではあるが、難しく考えすぎていたのかも知れない。「管理職の人材マネジメント」なんて、所詮人と人との信頼関係の上でコミュニケーションを図るだけで十分なのかも知れない。難しい言葉も必要なくて、「あなたの仕事ぶりに感謝と尊敬の念を感じています」とそう伝えるだけでも十分円滑なコミュニケーションに繋がるのかも知れない。

 

そうは言っても…

そうは言っても、私と相性が合わない人間にこの手法は通じない。モンスター化しガサツ認定してしまったモンスターの同僚に感謝の気持ちも尊敬の念も抱けないのだ。

 

申し訳ないが、モンスター社員にはこの手法は使えない。関係修復は見込めない。話をすると私自身が嫌な気持ちになるからだ。

 

自分の嫌な気持ちを感情に任せて相手にぶつけないように我慢するだけで精一杯だ。まだまだ器量が小さいだけなのか。この先、私は年を重ねていったらこのモンスター社員に歩み寄ることができるようになるのだろうか。

そんなスキルは役に立つのだろうか。モンスター社員はきっと変わるとはない、期待するだけ時間の無駄のように感じる。

 

このモンスター社員に対して、すり減りそうな自分の心を守るのに必死だ。

 

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36歳の転職、進むか留まるか、まだまだ悩む。

転職を決め、申し出て2週間が経った。まだ悩んでいる。転職すること自体も悩んでいるが、この先長いこと今の会社で勤め続けられる自信もない。本当によかったのだろうか。大丈夫なのだろうか。不安が大きい日もあれば、大丈夫!次もきっと見つかる!と思う日もあって、心はほんのり揺れている。

 

先に事の背景をお伝えする。私は調剤薬局で管理薬剤師として仕事をさせて頂いている。2年前に入職してきた60代の女性薬剤師のモンスター化が止まらない。

モンスター薬剤師の生態は…

  • 大声で服薬指導をして患者さんのプライバシ―への配慮が足りない
  • 毎日遅刻をしてくる
  • 嘘をつく
  • 言い訳をする
  • 薬歴がかけない
  • 大声での私語が多い
  • 私語が長く、患者さんを待たせてもなんとも思っていない
  • 服薬指導の言葉遣いが汚い(例:最近いい感じですか?などど患者さんに聞く)

などなど。

勿論、注意はしてきたが本人は改善する気は全くない。何も変わっていない。

 

 

転職エージェント担当者さんとの相性は超重要

具体的な転職先が現実的に決まっていないことも不安要素のひとつである。具体的な行き先が見つかっていれば「次の職場はどんなところだろう?」と期待を持つこともできる。ただ、今はまだ転職予定日の8か月前で、時期が早すぎるため具体的な求人案件を見ても現実味がないのだ。

 

転職エージェントの担当者さんは、「ゆめのさんなら大丈夫です。その経験があればどこでもオススメできますよ」と後押ししてくれている。非常に心強い。早速担当エージェントさんが故意にしている企業さんへ私を紹介して下さったという。あまりに時期が早いので「焦らなくていいですから、一応そういう案件も出てきていますよ」と仰ってくれた。

自分が信じて任せられる転職エージェントさんに出会えるかどうかは、転職活動において最も重要なことである。そしてそのエージェントさんに自分をどうアピールするか、ここが転職活動の第一関門と言っても過言ではない。

エージェントさんの印象が良くなければ、積極的に自分を紹介してくれることはない。対人間だから、当然だ。

今のところ3社の転職紹介会社さんに連絡をしたが、転職予定日が8カ月前ということもありエージェントさんの熱量が少ないエージェントさんの方が多かった。今担当して下さっている方が最も情熱的で誠実に真剣に対応してくれている。

 

エージェントさんとの良いご縁ができたことは、転職活動の第一関門を突破したと言えよう。

 

求人先の企業さんも来年1月の状況まで考えられないのは当然ではあるから、不安な時間を過ごすことは目に見えていた。でもやっぱり不安だ。

焦って決めたくはない。勢いだけで転職先を見つけるつもりはない。でも宙ぶらりんな状況に落ち着かないのも事実だ。

退職願を出すか否か

12月退職の決意は変わっていない。しかし、今はまだ口頭で退職の意向を伝えただけである。社長(雇用主)からは「その件については後日話しましょう」との返事を頂いている。「YES」でも「NO」でもないのだ。

 

口頭で退職の意向を伝えた時点で、その意向を撤回することはできないと思っている。雇用主に「やっぱり辞めるのを辞めます」なんて撤回したら、信頼を壊してしまうだけだ。もし撤回ができたとしても社長との信頼関係は崩れてしまうことになるだろう。今までとは同じではないのだ。

 

さて、退職願を提出する日が近づいている。社長夫人が私の店舗へ来る日は4月26日、あと4日後である。その日には退職願を提出するつもり…だ。そう、「つもり」なのだ。

まだ確固たる決心がついていない。撤回をしてはいけないことは分かっている。でも、今転職を決めた理由(同僚薬剤師のモンスター化、同僚の仕事意識の低さ、それを改善すべく試行錯誤してきたが一向に士気は上がらない現状)について話を聞いてほしいと思う気持ちもある。

 

その理由を話した結果、「あ、そう、それなら辞めたら?」と言われたら諦めがつく。引き留めて欲しいのではない。怖いのは自分の決意が揺らいでしまうことだ。

 

私は、悩みを言葉にしてしまうと悩みがスッキリして何事もなかったようにケロッとしてしまう悪い(?)癖がある。周囲の人を困惑させてしまうこともあるのだ。

あんなに悩んでいたのに、話したらスッキリしちゃって気持ちの切り替えが早いわね…と言われたことがある。私も自分でそう思う。申し訳ない限りだ。

今回はどうなることか、自分がどう反応するのかさえ信じられない。つまり転職に少なからず迷いがあるのだ。環境を変えることにかなり恐怖を感じているのだ。

 

「辞める」などと極端な結論に至る前に相談すべきだったか…そう思うときもある。

 

悩んでも絶対に答えは見つからない

自分の心と対峙してゆっくり考えても、考えないようにして他のことに目を向けてみても、やっぱり「これだ!これでいいんだ!」とピンとくるような答えが見つからない。

 

改善の見込みが全くない職場の怠惰な雰囲気や、会社の経営ビジョンの不安定・不透明さや、今後生きぬける力はないと気づいてしまった会社にしがみついていたくない。

でも、今の生活を変える不安も同じくらい大きいのだ。

 

ちっとも答えが見つからない。すんなり退職届を提出できる気がしない。もう退職届の準備は整っているのに。

 

甘えだとは自覚している。本当に情けない。

決意が無いのに「辞めたいと思っています」なんてよく言えたものだ。

バカか、私は。でもあの瞬間は「もう無理だ」と思ったのだ。モンスター薬剤師が再三遅刻しないように注意したはずなのに、しっかり遅刻してきてダラダラと始業準備をして、時間を稼いでいるのだ。その姿を見た瞬間、「この人と一緒に居たら自分もダメになってしまう」と心の底から感じたのだ。

だから、あの瞬間は我慢の限界だった。あの瞬間に言葉を飲み込むことはできなかった。言葉を飲み込んでしまったら、他の同僚にモンスター薬剤師の悪口を言ってしまいそうだったから。

自分が身を引けば、あのモンスター薬剤師も他の同僚も窮屈な思いはしなくて済むだろう。私はこのままここに居たら、「だらしのない人間になり下がる」と思ったのだ。

 

社長の奥様はさっぱりした性格の人で、私の性格によく似ている。だから、私が話してみたら少しは気持ちが晴れるかも知れない。退職願を提出する際には「ハッキリしない気持ち、不安な気持ち、モンスター薬剤師に手を焼いている、」と正直に伝えてみようと思う。

五里霧

まさに五里霧中。どっちへどう進めば良いのか分からない。このままモンスター薬剤師と距離を置いて仕事を続けることも…やってできないことはない。

でも、そんな風に誰かを「嫌い」と思いながら過ごす毎日は面白くない。ワクワクしないのだ。そんな毎日がこれから半永久的に続くのかと思うとうんざりする。

新しい職場に行って親元を独立したら、経済的な不安がある。私は独りで生きてけるだろうか。

グズグズしている。啖呵を切って「辞めます」と言ったわけではない。しかし、「辞めたいです、そのことだけは知っておいて下さい」なんて曖昧な意思表示は社会人として信用されないに決まっている。

私が最もやりたくないことだった。「辞職」という切り札はそんなに簡単に切ってはいけないのだ。

 

自分の今までの価値観と、今自分が感じている迷いが相反していて、そのギャップに心が張り裂けそうだ。

 

ここまで書いて気が付いた。考え過ぎである。あまりに思考が複雑化しすぎているのである。分かっているが、36歳だからもう「勢いでいっちゃえー!」とは思えないのだ。

 

 

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人生の岐路に立った時は、人生の先輩に相談してみる。でも、最後に決めるのは自分。

転職を決意してからと言うもの、私自身はどうありたいかについて、深く深く考えている。

このところ、出会う人々に「これまでどうお金を稼いできたか?人生における、時間とお金との向き合い方」についてインタビューしている。

 

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人生の選択肢が多すぎる。

有難いことに、私には多くの選択肢があるような気がしている。どれも魅力的だし、どれもデメリットがある。だからこそ、どう選んだらいいのか分からなくなってきている。

例えば、

薬局の経営者になる道もあるかも知れない。

転職して年収を上げて、人脈とスキルを上げていく道もあるかも知れない。

結婚はしない方が人生計画を遂行しやすいかもしれない。

結婚してパートナーと共に紆余曲折しながら生きていく道も面白いかも知れない。

海の綺麗な場所へ移住して、ダイビングと仕事に明け暮れるのもいいかも知れない。

空港までアクセスのよい地域、活気ある街に住んでリゾートへ通いながら仕事をしてもいいかも知れない。

米国インデックス投資を続けて、今と同じ生活水準で慎ましく暮らすのも楽しいかもしれない。

薬剤師としての給料だけでなく、ブログで稼いで投資にまわすスキルを磨くのも必要かも知れない。

ダイビングショップでアルバイトをするのも楽しそうだ。海に携わる仕事を探しても良い。

これから、私にとっての幸せはどこにあるのだろう。何を選んで、何を捨てていくのだろう。その基準をどう決めたらいいのだろう。

バケットリストはパンパンに膨れ上がっている。

身近な人生の先輩たち

最近私は、ダイビングを趣味とする人たちや、仕事で出会う薬剤師の先輩方に片っ端から「人生とお金・時間」について聞きまくっている。

 

ある人は言った、薬局を経営して資産運用(株式と不動産)で老後資金を貯めた。結果、薬局を手放してからはお金は減らない、と。

ある人は言った、脱サラしてダビングショップを開業して5年。3人の子供を育てている。確かに生活は楽ではないが、自分の采配でできる仕事を得て、大好きなダイビングも楽しめている、と。

ある人は言った、結婚して扶養範囲内で勤めて30年。子供が育ってから正社員になった。今は余剰資金を株式投資している。趣味はない、と。

ある人は言った、55年間独身で実家で暮らしてきた。父親が亡くなり、自宅の名義は自分になった、建て替えて25年ローンを組んだ、と。

ある人は言った、教員を60歳まで続け定年退職。その後はタイに移住し、子どもの教育に携わる仕事に就く、年収は激減し妻にも呆れられているが長年の夢を叶える時が来た、と。

 

まだまだ他にもインタビューは続くが、それぞれかなり個性が光る人生を歩まれてきている。私よりも3~4歳年上の先輩から20歳以上年上の先輩まで悲喜交々である。

 

ネットの世界との違い

今や、YouTubeを始めとする様々なSNSで情報は世の中に溢れている。もちろん、それらの情報も参考になるのは確かだが、生身の人間から直接聞く話は現実味がある。血が通った経験談として心に響く。

 

自分がこの先の人生に悩んだ時こそ、周りにいる先輩に声をかけてみると良い。結局、最後は自分で決めるのだが、自分の悩みなど誰もが通ってきた道であるから意外といいヒントをもらえるかも知れない。

その時は、失敗談も併せて聞いてみると良い。成功談だけ聞いていても、ただ心地よくてテンションが上がるだけで現実味がない。落とし穴があるかも知れないのだ。

 

自分をさらけ出すことの大切さ

先輩たちに歩んできた人生について相談するのは恥ずかしい、と思っていた。だって、自分の悩みなんてちっぽけなことだと思うから。それに自分が人生に悩んでいるなど、こっぱずかしくて話しにくい。

要は、「人生に悩む自分になりたくない」というおかしなプライドがあるのだ。

30代半ばになってくると、「人生について悩む自分」さえ受けいれられない。「私の人生は順風満帆よ、悩みが無いのが悩みなの」なんて余裕ぶっていたいプライドがあるのだ。

 

最近思う。このプライドはない方が良い。困っていて、悩んでいて、かっこ悪いかもしれないが、自分の人生を彩るかどうかは自分次第なのだ。

他人にとっては「あるあるな悩み」かもしれないが、自分にとっては最大級の根深い悩みなのだ。その事実を素直に受け入れて、「私は悩んでいます」と表現した方が心は軽くなる。

おかしなプライドのせいで、みすみすチャンスを逃すのはもったいないのだ。人生の先輩たちは時代と共に自ら変化し、人生を歩んできたのだからほんの少し体験談をお伺いするくらいなんてことないはずだ。

 

最終決定は自分

幾人かにアドバイスを聞いたうえで、【自分にとって譲れないこと】を決めるのは自分だ。それを軸に人生を彩っていくのも自分だ。手法が人それぞれなだけである。

独りでネットサーフィンをしているだけでは、チャレンジする前に尻込みするのがオチだ。ネット情報は不安を煽るだけの情報が入り乱れている。ネット世界が当たり前になった今の世の中の弊害だと思う。

さまざまな情報を得て、消化して、文字に起こしたりして自分の言葉で何度も話して、初めて自分の価値観が生まれるのではないか、と思う。

あくまでも情報は情報に過ぎない。

情報を駆使して、自分の人生を創り上げて色を付けていくのだ。決めるのはいつだって自分自身なのだ。

いつか私が年を重ねたら

もっと年を重ねて、小さな失敗も大きな失敗も色々と経験したのち、この経験が誰かの役に立てたらいいなと思う。悩める人生の後輩に「私の人生はこうだった」とほんの少し手助けになるような人間になれたら幸せだ。

 

私はまだ未熟で、誰かにアドバイスするような経験値は持ち合わせていない。まだまだ、誰かの役に立てるような人間ではない。

 

最終的には、紆余曲折してきた自分の人生観が身近な誰かの役に立って背中を押すことができたら幸せを感じるのかも知れない。

まだまだ、人生は続くのだ。