ゆめのブログ

30代女の独身生活ブログ

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沖永良部島へダイビングに行ってきました。海は貸し切り状態でのんびりダイビング♡

2022年6月14日~6月18日に沖永良部島へダイビングひとり旅をしてきました。今回は海の中編をご紹介します(^^♪



 

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海を独り占めできる

沖永良部島という島のことは多くの人が知っていると思います。沖縄県?と聞かれることの方が多かったですが、「沖永良部」というワードは多くの人がご存知のようです。

しかし!ダイバーにとって沖永良部島はあまりメジャーな島ではないようで、4日間のうち3日はガイドさんとマンツーマンで潜ることができました!

素晴らしい、これは本当に素晴らしいことです。

神子元島も宮古島久米島も、海を独り占めなんて状態には絶対にならないのです。必ず同じショップを利用している他のお客さんもいますし、他のショップさんも同じポイントを潜るのです。

いかに早く、いいタイミングでポイントへ向かうか?

いかに船内で他のお客さんのご迷惑にならないように機材の準備をするか?

…ガイドさんも私たちも、他の人(あるいはショップさん)へ気を遣わなくてはならないのが有名なダイビングスポットのデメリットであると言えるでしょう。

その点、沖永良部島はダイバーがイモ洗い状態にはならないそうです。概ね1組~2組のお客さんしか来ないよ、とガイドさんが教えてくれました。

混雑した船内で肩身の狭い思いをしながら機材のセッティングをする必要はありません。さらに、他のショップさんが先に潜って砂を巻き上げてしまった状態の海に潜ることもありません。

常に自分のペースで、のんびりとダイビングができるのです。

 

ダイバーが少ないからこそのデメリット

ダイビング文化が沖縄や伊豆ほどに盛んでない沖永良部島。潜るのには最適と言えますが、問題なのは器材を洗う施設がないこと。

私は5日間、ホテルシーワールドさんにお世話になりましたがこちらのホテルには器材を洗ったり干す場所が無いのです。

建物の裏にある屋外用の水道をお借りして器材を洗いました。また、ホテルの軒下をお借りして器材を干しました。離島日に雨が降ったらもう大変。機材は乾かないままお持ち帰りをします。(郵送した方が良いかも)

ただ、ダイビングのお客さんへの対応には慣れていらっしゃるようで快く水道も貸してくださいました。裏庭の軒下のスペースに器材を広げて干したいという希望も快諾してくださいました。

こちらからお願いしても、ホテルの方々はビックリしないようです。他の宿泊客にダイバーはいませんでしたので、心置きなく器材を洗って干させていただきました。

シーワールドさん以外の宿泊先には、ダイビング機材を洗う施設を持っているところもあるようです。1日目に一緒になった他ダイバーさんの宿泊先(名前を失念しました…)にでは器材を洗うことができると教えてくれました。

沖永良部へダイビングに行かれる際には事前にダイビング機材を洗えるか?干しても良いか?と、宿泊先に聞いてみた方が良いです。絶対に。

海は?船は?

水温は24.5度。ロクハン2ピースとインナーを着て潜りました。インナーが無いとちょっと寒い…かも。

ダイブタイムは40~45分。だいたい深度5m付近でフラフラしてくるコースなので、安全停止に困ることはありません。

マクロ生物を探すのと地形を楽しむスタイルが半々くらいかな。クレパスの間を泳いで行ったり、白い砂が広がるポイントがあったりと表情豊かな海です。

 

 

色鮮やかな海と言うよりは、テーブル珊瑚がダイナミックに広がっているいぶし銀の海という印象です。雄大な海です。

 


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港を出て、5分程度でポイントに到着するので船酔いの心配もありません。ただ、船がとってもコンパクトで必要最低限の設備しかありません。船にトイレやシャワーは無いのです。

そういった意味では、自然の中でワイルドに潜るスタイルですね。沖縄のダイビングショップさんの船はトイレもシャワーも完備されていますから。

豊かな自然を肌で感じ、沖永良部の人たちの温かさを感じる

とにかく海も町も人が少ないので、自然を強く強く感じます。飲食店は(元)商店街がある和泊町は海沿いの町ですので、お散歩をすれば海風を感じられます。とにかく静かです。

飲食店やスーパーではとても優しく迎えてくれるお店ばかりです。ひとりでカウンターに座っていると必ず「観光ですか?」と声をかけてくれるのです。

久米島では必ず「ダイビングですか?」と聞かれました。久米島はホントにダイバーの割合が多いのでしょうね。

沖永良部では必ずしもダイビングで訪れているかどうか、は定かではありません。公共事業のお仕事のために長期滞在している人も多いようです。

 

沖永良部島、ダイバーにはまだちょっとニッチな場所かも知れません。でも、一度は行ってみる価値があります。雄大な海と温かい島の人たちが出迎えてくれるはずです。

 

 

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沖永良部島ダイビングに行ってきました。想像以上のローカル感に驚きの連発

2022年6月14日~6月18日の5日間で沖永良部島へひとりダイビング旅行をしてきました。稀代の雨女パワーが炸裂した5日間となりました(泣笑)

5日間で雨が降らない日なく、朝8時頃と夕方18時頃には必ず雨が降っていました。傘をさせば十分で歩ける程度の雨ですが、本音を言えば晴れて欲しかったよね。

 

 

沖永良部島ってどこ?どうやって行くの?

沖永良部島(おきのえらぶじま)は、奄美群島南西部に位置する鹿児島県大島郡に属す。九州本島から南へ552km、沖縄本島から北へ約60km、北緯27度東経128度付近に位置する。和泊町知名町の2町からなり2012年平成24年)1月1日現在の和泊町人口(男3495)(女3601)計7096人、知名町人口(男3366)(女3305)、計6671人両町の合計人口13767人。

Wikipediaより

要は鹿児島県です。奄美大島よりも南、与論島よりも北に位置しています。なので、私はてっきり「鹿児島経由の乗り継ぎで行くしかない」と思い込んでいました。

JALパックで沖永良部島5日間のコースがあったので、それを利用しました。

しかし!その予約をした後に、知り合いの先輩ダイバーさんが「那覇経由でも行けるんじゃない?」との情報を教えて頂きました…え?そうなのか…。調べが甘かったか、と反省。

しっかり調べてみたところ、那覇経由だと那覇で一泊してフェリーか飛行機で沖永良部まで辿り着けるようです。

ちょっと時間がかかるよね。なので、素直にJALパックを利用して行くことに。

ひとり旅(個人旅行)だと、自由が利くので時間に余裕がある方は行き方をしっかり調べてご自身に合った方法で行かれた方が良いです。(沖永良部に限ったことではないですが、なにしろ情報が少ないのでダイバーどうしの情報でも正確性に欠けるような気がします)

私は羽田空港10時発・鹿児島行、鹿児島12:35分発・沖永良部行きに乗って、沖永良部島まで行ってきました。

このフライトスケジュールだと、到着日ダイビングはできません。なので、到着後ゆっくりホテル周辺の散策ができました。(この時は奇跡的に晴れてた!)

鹿児島→沖永良部便の座席指定で失敗

私はいつも搭乗口近くの座席を事前予約しています。なぜなら、到着してすぐ飛行機を降りたいし、出発時はギリギリまで搭乗口で携帯の充電をしたいから。

そのセオリーに則って、沖永良部行きの飛行機は座席番号の若い席を予約しました。大型旅客機であれば、座席番号が若い方が搭乗口に近いことが多いのですが…なんと!プロペラ機は座席番号が若い方が搭乗口から遠いのです。(小さい機体なので時間のロスはほとんど誤差範囲ですけど…)

てっきり搭乗口付近に座れると思いきや、チケットを確認しながらグングン機体の前方(搭乗口から遠く)なっていくではありませんか…。1秒でも早く沖永良部島入りをしたいのに!とささやかな苦悩を感じていました。

 

器量の小さい女です…。

いざ、沖永良部島

稀代の雨女の称号らしからぬ、到着時は青空が私を迎えてくれました。

おぉ~これは奇跡か?!と気持ちは弾むばかり。雲一つない晴天など望んではおりません。雨が降ってなくて、ほんの少し青空が見えていれば十分なんです。

南国特有の湿度90%くらい(体感です、テキトーな数値です)の、体にまとわりつくような風を受けてタラップを降ります。

ワンピースのスカートが湿気で少し重みを増します。羽田空港では普通に履いていたスニーカーと靴下が鬱陶しく感じます。

これぞ、南国!これぞ鹿児島の離島!洋服の鬱陶しささえ、幸せに感じる!

日焼け止めをケチって薄く、顔にしか塗ってこなかったことを後悔するのです!毎度馴染み日焼け対策は不十分な女です!

荷物受け取り後に呆然

荷物は4~5mくらいのコロコロした台(預け荷物が出てくるアレね)に、手作業でポンポンおいてくれるので到着後5分で受け取れます。

預け荷物を持って、タグを確認して、さぁ沖永良部空港を出ると…!

誰も…いない?

そうです、私は空港から宿泊先ホテルまでの送迎を事前予約し忘れていました。忘れてるな~とは自覚していましたが、空港にタクシー乗り場があるでしょう、と高をくくっていたわけです。

トンデモナイ。

タクシーもバスもいないのです。レンタカーの送迎者がサクサクと他のお客さんを乗せていき、私だけがあっという間に取り残されてしまいました。

で、バスの時刻表を見ると次のバスは今から1時間後に来るとのこと。このジメジメした空気と屋根のない場所で1時間なんて待てませんよ…(泣

というわけで、「沖永良部 タクシー」とGoogle先生にお尋ねし配車をしようと電話をかけました。

ところが、1社目はコールが鳴ったままつながらず。2社目は転送されるが留守電になる…。

個人タクシーなのかも知れません。とにかくつながらないのです!タクシーを呼ぶことさえできないの!

3社目でやっとつながったのですが、営業所が遠いのでホテル近くの営業所の方にかけなおしてほしいと言われました。それでもつながらなかったら中州(なかしお)タクシーさんに電話してみてください、と親切に教えてくれました。

結局、中州タクシーさんに電話することになり無事に空港まで来てくれました。ちなみに、空港から宿泊先シーワールドホテルまでは1760円也。高い…。送迎の事前予約を強くオススメいたします。

もし、事前予約をしていなくてもホテルに一報入れたら迎えに来てくれたかも知れません。さほど宿泊客は多くないので、融通が利いたかも…と反省しました。

 

ホテルシーワールドの歴史に感服

さて、無事にホテルシーワールドに到着しました。チェックインを済ませ、滞在するお部屋は2階、とのこと。そして、機材の入ったトランクケース(羽田空港は19㎏と測定済み)をもって2階へあがろうとしたところ…あら?エレベーターが…ない⁉

そうです、どうやらシーワールドさんはかなり歴史の古いホテルのようで、最近リノベーションしたばかりだそうです。お部屋は清潔でしたが、建物の構造は変えられなかったようです…(泣

仕方ない、持ってあがろう。2階だから大丈夫だ。

と思って階段を上り踊り場でほっとする間もなくまた廊下があって、さらに階段を上らなければなりません。19㎏の機材達よ…私の筋力UPに貢献してくれたまえ。

言ってはならないオバサン言葉、「よいしょ」を連呼しながら、お部屋へ到着。お部屋は畳部分があって、窓からはオーシャンビューが広がっているではないですか♡

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写真だと曇っててイマイチだけど、ホントに感動したんだよ!

エレベーター無しの恨みはこの一瞬で吹き飛びます(笑

ダイビングで来訪するお客さんも多いようなので、機材はホテルの裏庭でメッシュバックに詰め替えさせてもらった方が良いですね。雨が降っていなければそのまま裏庭に置かせてもらえると思います。ホテルの方に相談してみてください。

いずれにしても、ホテルの方々はとても親切で臨機応変に対応してくださるので困ったときはまず相談を。

お次は夕食問題

さて、無事に荷物を部屋に運び込み夕食の算段を考えます。ホテル近辺には居酒屋さんがあることは調べてあったので、素泊まりで予約していました。

確かに、シーワールドから徒歩数分の場所には焼き鳥屋さん、串揚げ屋さん、魚料理屋さん、焼肉屋さん…と様々なジャンルのお店があります。

夕食には困らないです。

しかし、クレジットカード問題が発生します。私は普段、3000円くらいしか現金を持っていないので、焦る焦る…。財布の中を見たら、1万8000円入っていました(安堵)

しかし、もし現金しか使えないお店ばかりだったら、5回の夕食+朝食(現地調達)には到底足りないような気がします。

ここで救世主が現れます。困ったときのPayPay!PayPayアプリで近くで使えるお店を検索したところ、ほとんどのお店は対応していました。安心です。

ただ、RICマートというコンビニだけは現金のみなのでご注意ください。

 

だいぶ長くなってきたので、次回に続きます。

沖永良部島へ行くときの注意点~

  1. 移動手段は飛行機・フェリーがある
  2. 鹿児島経由、那覇経由で行くことができる
  3. 空港から宿泊先への送迎は事前に予約しておく
  4. 現金かPayPayを用意しておく

以上です。最後までお読みいただきありがとうございました(^_-)-☆

 

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結婚40年目の答え合わせ。私の両親を見て初めて「結婚ていいかも」と思った日

驚いた。この私が「あ、夫婦っていいかも」と思う日が来た。

生まれてから今日まで、一瞬たりとも「結婚したい」と思ったことがない。



 

私の結婚観

中学2年生の夏、進路面談を終えて母と二人で家に帰る道すがら母は私に言った。「ひとりでも、ひとりになっても生きていける人になりなさい」と。

その日から私は「結婚しない人生」を歩み続けてきたのだ。

高校3年の春、受験勉強に専念するため飲食店のアルバイトを辞めた日のこと。「私は薬剤師になります、結婚しなくても生きていきたいから」と聞かれもしない宣言をした。

大学を卒業する日、私は「これで一人で生きていかれる」と確信した。国家試験に合格できる自信があった。

大学院の在学中に付き合っていた恋人が「君は世間なんて知らなくていい、僕と一緒に地元へ帰って結婚しよう」と言った。私は「私に人生の伴侶は必要ない、とにかく働いて独りで生きていきたい」と叫ぶように答え、文字通り五反田の駅で走って逃げた。

就職して4年め。出会った男性に「結婚を見据えてお付き合いしてください」と言っていただき、「え?なんですって?」とおどけて見せ、私はこっそりと姿を消した。

1年前に付き合っていた彼はバツイチ、15歳年上で仕事をバリバリこなしていた。「結婚にはこだわらない」という彼の言葉に惑わされ、付き合った。それでも別れ話の締めくくりは「このままいつか結婚出来たらいいな、と思っていたのに」と言われ、背筋が凍った。やっぱり嫌だった。

 

身近な結婚の先輩(両親)が歩んできた道のり

私がこんなにも「独身至上主義者」になり、「結婚不適合者」として生き続けることにこだわる理由がある。それは、私の両親である。

私の両親はお見合い結婚。昭和30年代生まれで、結婚したのは昭和50年代後半。この頃はまだまだお見合い結婚が横行しており、「結婚しない女」は「売れ残りのクリスマスケーキ」だったのだ。

全く失礼な話しではあるが、それが時代のトレンドで多くの大人が持つ「価値観」であった。そんな時代の真っただ中、両親はお見合いをして結婚した。

母は、元カレが忘れられずにふて腐った状態で「皆がどうしても結婚してほしいというのなら、勝手にしてくれ。私の人生はもうどうでもよい。」と投げやりになっていたらしい。

一方の父は大した恋愛経験もなく、勉学に励み大学を卒業した。実家の田舎コミュニティになじめず、必死で実家から離れる方法を考えていた。

母も父もとにかく実家から離れたかった。「結婚」は十分な理由だった。

そんなふたりには私と妹が生まれ、子育てに追われた。仕事、育児、仕事、育児、育児。二人の娘を大学へ進学させるという大きな目的に向かって走るパートナーとなった。

父は仕事に追われメンタルを崩しかけ、休職した時期もある。この頃の夫婦仲は最悪だった。子どもながらも覚えている。二人は「子育てと仕事の責任」に阻まれ、お互いのことを観ていなかった。話もせず、母はママ友と遊びまくり父は仕事で家にはほとんど帰ってこない。

当然、母は父へ期待していた。「娘と妻に優しい夫であってほしい」と。父は母からの期待をうっとおしく感じていた。だから父はほとんど話をしなかった。家ではもっぱら無口であった。

私たち娘が大学進学のために家を出てからは二人きりの時間が必然的に増えた。私が生まれてから18年間、子どもについての話しかしてこなかった両親は、私たち娘が家を出てからどんな会話をしたのだろうか。

ふたりの思い出話しによれば、毎晩の「ドラマ24」を観ていたらしい。夜な夜なリビングに集合して二人で無言で観ていた、と。半年ごとに数百万円もの学費を払わなくてはいけない。とにかくお金を貯めなければならない。無駄なお金は使えない。

稼ぐしかなかった。夫婦が最大限の力を発揮して仕事に励んだ。

そして娘は2人とも大学を卒業する。地方出張や海外出張が多い父、ひとり時間を愉しめるようになった母。夫婦はソロ活を極めて行った。

そして定年が目前になった。

自分のペースで生活してきた二人。まったく干渉しあわない二人がひとつ屋根の下で過ごす時間が増える。これはもう、軋轢が生まれるしかない。

4年前、父は定年退職をした。二人は24時間同じ家に暮らし始めた。大きさの違う車輪で道を進んでいるような状況だった。ちぐはぐだった。

家事をしない父、そんな父に腹を立てる母。子育てを終えた両親は、何を話せばいいのか分からない様子だ。この頃、両親の会話はかみ合わなかった。当然だ。

孫の誕生

父が定年退職して3年め。次女(私の妹)に子供が生まれた。両親に孫ができたのだ。そして妹は実家に帰ってきては両親に子どもの世話を頼むことがあった。

祖父母となった両親は36年前の私の育児を思い出しながら必死で孫の世話をした。

しかし、36年前とは違っていた。

この頃の父は毎日私と母の食事の支度をしてくれるようになっていた。焼き魚、野菜炒めなど簡単なものではあるが、毎日のことだ。その労力は計り知れない。

実家暮らしのクズ女(私)にしてみればこんなにラッキーなことはない。「ありがと~!」なんて言いながら、当たり前のように毎晩夕食を頂いていた私だった。しかし母は違った。「毎日食事の支度をするって大変よね、お父さんありがとう」と言うようになった。

母はパートの仕事を続けている。

つまり、母が働き、父が食事の支度をするという状況になっていたのだ。父は孫の世話をしながら、私たち女たちの食事の支度を続けた。

孫が風呂に入ると言えば、母が一緒に孫と風呂に入り、父が風呂場へ迎えに行く。当たり前のようにその作業は行われた。まるで示し合わせたかのように、自然と二人は協力し合っていた。

両親(祖父母)の死去

昨年、父の母(私にとっての祖母)が亡くなった。今年春、母の父(私にとっての祖父)が亡くなった。私の両親は、二人とも親を看取ったのだ。

そして私の両親は本物の「祖父母」のフェーズに入ったのだ。この頃からだろう。私の両親はあ・うんの呼吸で生活するようになる。

遺産相続についてはお互い一切干渉しない。お互いの実家のことについては口を出さないという暗黙のルールあるようだ。

そのルールをふたりは自然と守っている。

孫の世話は二人で行う。二人の子どもだと自覚しているようだ。その価値観は今も変わっていなかった。

結婚して40年

私の両親は今、最強に強い絆を礎に、程よい距離感で生活している。1日に数分しか会話をしない日もあるようだ。私が食卓に居れば会話は弾むが、二人だけだと会話はあまりないらしい。それでも二人は居心地がいいらしい。

老後の資産は十分にあるという、父が働き母が家計管理をし続けてきた。40年間も。その結果、私たち娘は大学を卒業した。そして、実家の戸建て一軒家を一括キャッシュで立て直した。

借金はない。

彼らに今後の生活への金銭的な不安はないという。

結婚して40年。二人は今、安寧の精神状態を手に入れている。紆余曲折あったおかげで、両親は本物の夫婦になった。

40年経ってやっとちょうどよい距離感をつかむことができたようだ。

結婚の答え合わせに40年もの時間を要した。長いようで短い時間だったという。そして私の心にも変化が訪れた。

36年間、結婚したくないと思っていたのは「仲の良い両親」を知らなかったからだ。私は勝手に「仲の良い夫婦=コミュニケーションが取れている夫婦」だと思い込んでいた。

私の両親は「お見合い結婚」だから、恋愛感情などない。だから彼らはいつもお互いに対してドライなのだ、お互いに何の期待もしていないのだ。彼らは「しかたなく一緒にいるのだ」と思っていた。

私は未熟だった。まったく気づいていなかった。両親が共に人生の山も谷も超えていたことを。今、私は両親がキッチンに立つ姿を見て思う。

性格は全く違うまま40年を過ごしてきた。育児という大きな目標を達成しながら慎ましく生きてきた。

私は二人を見て思った。あぁ、結婚してこの両親のようになれるのなら…結婚もいいかも知れない、と。36年間生きてきて、初めての感覚だった。

 

 

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宮古島へダイビングしてきました!~ダイビング編~

 

本日も宮古島ダイビングの思い出をご紹介します。

 

 

梅雨の中休みは…なかった

2022年5月25日~28日は例年にない程、雨が降り続けた梅雨のど真ん中でした。

 

 

毎日グレーの低い雲に覆われて、3日間の滞在中で太陽を拝めたのはほんの30分程度…笑。

例年では「梅雨の中休み」という時期があり、5月末はそのシーズンに当たると調べて予約をとったものの、滞在中はずっとバケツをひっくり返したような雨、雨、雨…。

ま、普段の行いが良いわけではありませんので仕方ない。どんなに雨でも、楽しめるでしょ~♪とのんきに行ってきました。

あんまり沖縄の天気には期待しないほうが良いですね。雨でテンション下がると、もったいないから。細かいことは気にしないで、とにかく海に潜ることに集中してたら絶対楽しくなるから(^^♪

 

雨でも楽しかった!こんなに透視度が良いのはまさに天国。伊豆のお味噌汁モードの海を経験している身としては、パラダイスなのです。

 

やっぱりまた行きたい!

今もそう思っています。そのもうひとつの理由は、素敵なダイビングショップとゲストハウスに泊まれたこと。ぜひ宮古島へお越しの際はカラカラ先生のダイビングスクールを検討してみてください(^^♪

 

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Gopro2回目の出動

今回の宮古島の旅にはGopro10を出動させました。

今回は変えのバッテリーを船にもっていかず、フル充電のバッテリー1個で45分/本×3本のダイビングをしています。

もちろんのこと、船を降りた時は充電はゼロになっています。充電の使用配分も動画撮影スキルのひとつかな?

私が替えのバッテリーをもっていかなかった理由は、一度濡れたハウジングを塗れた手で触って開けてしまうと、どうしてもハウジング内が曇ってしまうからです。

本当は乾燥剤をハウジングの中に入れるのが正解なのでしょう。単に乾燥剤を準備していなかっただけ…です。

それでも何とか、3本のダイビングでまんべんなく動画撮影はできました。ハンマーとかマンタとか、バラクーダの群れとか、大物狙いのダイビングだったら絶対に替えのバッテリーは船にもっていった方が良いです。

たいていの場合、大事な時に電池切れを起こしますから…ね。今回は、マクロ生物を観たり地形ダイビングでしたので、時間配分は予想通りでした。

 

海の様子はこんな感じ↓(^^♪

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ベタ凪を実感

滞在中の3日間、確かに雨はずっと降っていたし晴れ間は全く出ませんでした。でも、風は吹いていなかったのです。

水面はピタッと静かで、ウネリなんて全くないのです。こういうところが5月下旬の時期のいいところでしょう。出航できない日はありませんでした。

(私の帰宅日は風が吹いてビーチダイビングに変更になったようです、運が良かっただけですね)

ですが、台風の時期(7月~10月)や真冬(1~2月)はとにかく風が吹くのでボートが出航できない可能性が非常に高くなると思われます。

雨だったとしても、GW開け~6月上旬なら高確率で出航できるのではないでしょうか。今後の旅の計画の際に参考にしてみてください(^^♪

 

とにかく沖縄の天気は変わりやすいです。天気が悪くても、ゆんたくを楽しんだり、小雨の中の散歩をしてみたり、普段できないことを経験できるはずです。

天気が悪くても、思っていたポイントに行かれなくても、その日その時に楽しめる心があれば必ずいい思い出になるはずです。

 

旅が楽しくなるのは自分の心次第、って感じかな。

宮古島へダイビング旅行してきました。オススメのダイビングサービスをご紹介♡

2022年5月25日から3日間、宮古島へダイビング旅行へ行ってきました!

もちろんひとり旅(笑

宮古島への飛行機は、行きJAL 羽田→宮古島・帰り ANA宮古島羽田空港です。もちろん、往復で同じ航空会社を利用した方が割安にはなるのですが…

時間の都合で往復で別の航空会社を利用しました。

帰りのJAL宮古島羽田空港の直行便は22:25分羽田着になってしまい、自宅への帰宅時間が遅くなるのが嫌なのでANA直行便14:40羽田着便にしました。

 

個人旅行ではこうした自由度の高い旅程を組めるのが助かります。

カラカラ先生のダイビングスクール

さてさて、宮古島でお世話になったダイビングショップはカラカラ先生のダイビングスクールです。

ホントにホントにとってもオススメ♡

おすすめポイント①:宿泊施設【あったかや】が併設

ダイビングサービスと宿泊施設が一体となっており、ダイビングが終わったらそのまま自分の部屋へ直行し、宿泊施設でシャワーを浴びることができるのが大変魅力です。

お部屋を始め、シャワールームも皆の憩いの場も隅々まできれいに清掃されていて清潔です。

オススメポイント②:夕食が美味しい

夕食は1食1100円でお願いできます。毎晩、夕食はお客さんとスタッフさんと一緒に食べさせてもらいました。

1日目の夕食は、ナポリタンとゴーヤチャンプルと煮卵(セルフサービス)で、白米とお味噌汁はお代わり自由です。煮卵は船長さんのお手製だそうで、中の君は半熟で味の沁みた美味しい煮卵だそうです(私は卵が苦手で食べられませんでしたが、他のお客さんは独りで2~3個召し上がっているようでした、あっという間に完食でした)

2日目は、白身魚のから揚げ、サラダ、煮物(お代わり自由)です。

3日目は、かに玉、鶏のから揚げと餃子(お代わり自由)です。

毎晩異なるメニューを用意していただけます。そして、沖縄料理だけでなく家庭料理を用意してくださるのが嬉しいです。

沖縄に行くとどうしても、沖縄料理縛りが強くなってしまうことが多いので…ね。

沖縄ならではの習慣で泡盛も無料セルフサービス♡(私はほとんど飲みませんが…)

おすすめポイント③:屋外サウナができる

なんと敷地内には屋外サウナ施設があるのです~!ダイビング後、機材洗いを終えて冷えた身体を温めるのにはとってもとっても嬉しいサービスです。薪で火を起こして、石を温めてその石へ冷水をかけるとサウナテント内の温度が一気に上昇します。

水をかけた瞬間、じゅわ~~っと水蒸気が出ます。お客さん同士で入っていて、ふざけて水をかけると…

「おいっ!笑、ダメだ!勝手に水をかけるな~!!!熱いでしょ!」と大盛り上がりするはずです。お客さん同士のコミュニケーションも深くなりますね笑。

私もこのサウナコミュニケーションで他のお客さんとの距離が近くなって仲良くなりました。【サウナは世界平和をもたらす】…これ、真実です(笑)

息をすると鼻の奥が熱くなるくらい!とてもじゃないけど、喋ってる余裕もない程の高温になります。

一気に体を温めて汗をかいて、思いっきりテントの外に出ると…

「あ~…♡涼しい♡」という感じ。屋外サウナの良さを生まれて初めて経験できました。これ、ホント最高です。10分サウナに入って、10分はお庭で休憩。これを3セット行うとお肌はスベスベになります。冷えた指先もぽかぽかになります。

おすすめポイント④:機材干場が充実している

機材干場はお客さんごとにスペースを確保してくれており、お客さん同士の機材が混在して干すことがありません。宿泊中は同じ場所を確保してくれているので安心ですね。

リピーターさんは機材をショップに預けることもできるそうです。さらに、機材が乾いてからパッキングして自宅へ郵送してくれるサービスもあるようです。(私は機材を持ち帰りたかったのでパッキング郵送サービスは利用してません)

 

と言うわけで、カラカラ先生のダイビングスクールの良い点はとにかくホスピタリティに溢れていることです(^^♪

ホスピタリティに溢れたサービスには、優しくてマナーの良いお客さんが集まるのですね。お客さんの質も良いです。ダイビングを終えてからの時間も楽しくあっという間に過ごせるはずです。

 

ということで、今回はオススメのダイビングサービスをご紹介しました。写真が無いので、イメージが湧きにくいかと思いますが…とにかく、宮古島へダイビング旅行の際は、【カラカラ先生のダイビングスクール&あったかや】さんが大変オススメです。

 

神子元島のレポも書いてます~

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ちいさなセクハラ、おおきなストレス

日曜日。私は仕事が休みで、可能な限り(いや、絶対に)ストレスを感じたくない。そう思うのに、私は大きなストレスを抱えている。

 

苦手な女性はいないが、苦手な男性はいる

世の中にはどうしても自分とは相性の合わない人が居る。男性でも女性でも。

特に私の場合には女性のストライクゾーンは広く、陰湿であったり意地悪である女性とは比較的うまく関係を構築できる。

相手が女性であれば「ま、いっか」と気楽に見逃せるし、女性のことは嫌いにならないことが多い。

問題は異性である。苦手と感じる異性に対しては一度でも「ムリ」というレッテルを張ることになったら、そのレッテルは絶対に消えない。「無理レッテルを貼った男性」に対しては親切さえ、鬱陶しいとしか感じられないのだ。

 

これは私だけなのだろうか?

意地悪な女性とはうまく付き合えるのに、うっとおしい男性とはどうしてもうまく付き合えない。DNAが拒否をするのだ。この性差は何だろうか?

 

おそらく私は男性に対して潔癖症なのだろう。特に、興味のない異性から自分が「女性」として認識された場合、嫌悪感を抱くのだ。男性に対してしかこの感情は生まれない。趣味でも仕事でも、好きと思えない男性と関わることは多大なストレスでしかないのだ。

 

些細な一言が潔癖症スイッチをONにする瞬間

私は趣味で市民オーケストラに在団している。その中にどうしても生理的に受け入れられない男性がいる。

雑談さえできないほど苦手意識を持ってしまっているのだ。申し訳ないがこの溝はもう埋まらない。苦手意識を持つようになったきっかけは、男性のささいな一言であった。

 

些細な一言が発せられるまでの経緯を説明しよう。

オーケストラの定期演奏会を開催するにあたり、演出係を任された。どうやら前回の演奏会では演出係の間でもめ事があったようだ。

その男性は、今回の演奏会準備でも揉め事が起こることを予想していた。その揉め事において私を味方にしようとしたのだ。結果、その男性は私へ個人的に前回の揉め事の経緯を話そうとしたのだ。

 

そしてある平日の23時頃。男性は言った。

「今までの経緯をお話したいので、お電話できますか?」と。

本当に些細な出来事だ。些細な一言だ。しかし私は嫌悪感を感じた。

なぜ個人的に電話をしてくる必要があるのか?しかも過去の揉め事の経緯をわざわざ時間を作って話す必要があるのだろうか?と。

この一言が私の潔癖症スイッチをONにした。

 

セクハラとまでは言えないけれど

「お電話で話せますか?」という一言は決してセクハラではない。一般的には。

でも、友達でも恋人でもない男性と仕事以外で話をすることは、あまりに距離を近づけすぎていると私は思う。

押しが強すぎるというか、端的に言えば…「怖い」のだ。もっと寛大になって細かいことを気にしないでフラットな気持ちで話せばよいのかも知れない。

でも、その電話の内容はおそらく(十中八九)誰か別の人の悪口や陰口であるに違いない。ストレスを感じる予感しかしない。

それはセクハラとかそんな言葉には分類されない感情だ。単にイヤなのだ。

 

仕事ではないので、逃げよう

繰り返しになるが、この人間関係は「仕事」ではない。「趣味」である。それなのに、我慢しながら生理的に受け付けない人と関わりを持つ必要があるのだろうか?甚だ疑問である。

疑問どころではない。答えは出ている。完全に縁を切ろう。ここで終わりにするのだ。この人と関わると自分の心のエネルギーを無駄遣いしてしまう。

定期演奏会の開催における役割は全うしたいので、それだけは最後までやり遂げよう。でもそれが終わればもう逃げよう。

周囲の人からもからかわれている。「あの人はゆめのさんのことを気に入っているみたいだよ?」と面白おかしくネタにしていたのだ。これはどうしても受け入れられない。

中学生でもそんなうわさ話はしない。

私は何と答えたらいいのだ。そもそもその男性に嫌悪感を抱いていることに悩んでいるというにも関わらず、その相手が私に好意的だと周囲がネタにするなんて…。

うっすら愛想笑いをするしかないのだ。

こんな居場所からは逃げるしかない。無責任だとは思う。たった一言で見切りをつけるようなドライな人間だと自分でも怖くなる。

でもさ、単に疲れちゃうじゃない?

わざわざ趣味の時間で自分の心を疲れさせるなんて…ね。

 

 

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人間が複数集まると軋轢が生まれる。そんな時は怖がらずに自分の意見を言うことが大切。自分の心は自分で守る

 

 

大人になるほど

大人になればなるほど、本音と建て前を使い分けるようになる。ここのところ、その現象に少々辟易している。

本当は「やりたくない」役割なのに、断れない。それは、自分をよく見せたいから。断ると相手に嫌われてしまうことを恐れるから。

本音では「うだうだ言ってないでとにかくやってよ!」と思っていてもそうは言えない。なぜなら、自分が同じことを言われたくないから。

そんな風に、大人になればなるほど本音をさらけ出す機会が減ってしまう。

私は30代になってその傾向がかなり強くなったと思う。自分の仕事で手一杯なのに、他の仕事を頼まれたら断れない。今後の付き合いのことを考えると、断れないのだ。

 

仕事では本業の薬局業務が山積みになって、気持ちも時間も自分の薬局業務に専念したいのに、バイト先の事務作業まで手伝う羽目になっている。

バイト先の業務に対しても、本業の業務と同じくらいのエネルギーをつぎ込んでいる。最初はいいかも知れない。でも、時が経つにつれ心が疲弊してくる。集中力がそんなに持たない。人間の集中力とモチベーションには限界があるのだ。

 

徐々にモチベーションが下がってきたことを自覚してからは、さらに精神的な負担が増えてくる。もはや投げ出してしまおうか…とさえ思う。

 

でも私は大人だから「もうやめた!」と投げ出すわけにはいかない。これもまた、精神的に大人になった証拠である。大人になるほど、仕事が増える。家庭での役割、仕事場での責任、趣味活動での人間関係、精神的に休まらないのだ。

本来はグータラ人間

自分のことをクズだと思う瞬間は多い。一日中ゴロゴロしていたいし、一日中部屋に籠ってネットフリックスを観ていたい。できることなら、ずっと寝ていても良い。

なんならパジャマのまま1日過ごすことだってある。食べるのも面倒で、1日中チョコレートだけ食べることもある。起きない、と決めたら昼まで寝ていたい。

料理はしたくない、溜まった洗濯物の前で呆然とする、ゴミ出しは大抵逃してしまう。

書き出せばキリがなく、ただただゴロゴロしていたい欲求の塊なのだ。

 

唯一、私が前向きに取り組んでいる趣味は、スキューバダイビング。それでも月に1回リゾートへ出かけられれば十分である。

海に潜ること、寝ることだけで生きていけたらどんなに楽だろう、と毎日思っている。そんな都合のいい話があるわけないのだが。

 

苦手分野

こんなグータラ人間の私にとって最も苦手とするのは、人との関わりである。趣味であっても仕事であってもどうしてもついて回る「居心地の悪い人間関係」。

仕事関係の人、恋人、家族以外の人とは極力連絡をしたくない。内容のない会話がどうも苦手なのである。

内容のない会話、何度も繰り返される誰かの陰口…これらは私の生活から一切排除したいのだ。どうしても大人の対応ができない。苦手だ。

こんな居心地の悪い場所にいるくらいなら、家で一人でグータラしていた方がよっぽど幸福度が高い。

私には「独りで寂しい」という感覚が無いに等しい。とにかく独りでいることに、この上ない安心感と幸福感を感じるのだ。

 

そうは言っても

こんなにも人との関わりに苦手意識があって、できるだけ回避してきたつもりでも、なぜか私は定期的に「面倒な人間関係」に巻き込まれてしまうのだ。

 

今は趣味で所属している市民オーケストラでの人間関係だ。大人げない言葉のやり取りがメールでもLINEでも繰り広げられている。

コソコソと本人のいないところで、その人の悪評が流れてくる。そんな淀んだ人間関係にはさすがに辟易している。

 

一度引き受けてしまったことなので、区切りの良い日まではきちんと役割をこなそうと思う。それは私のポリシーだから。バックレるのは避けたいところだ。

淀んだ人間関係に巻き込んでしまってごめんなさい、と言ってくれた人もいた。その人が私を引き入れた張本人なのだから、謝っていただくのは然るべきことである。

 

今までの私だったら「大丈夫ですよ、気にしないでください」なんて思ってもいないことを言っていたような気がする。

しかし、今は違う。思ってもいないことを言って、どんどん要求が増えて、自分の時間やエネルギーを消費するのはもうこりごりだ。

だから私はこう答えた。「正直言って面倒です、一度だけ言われてください」と。これはスゴイ成長である。こんなこと今までだったら言えなかった。

でも、今なら言える。なぜなら、いい人ぶって色んな役割を引き受けることは自分を蔑ろにしていることと同じだと気づいたからだ。

自分が思うほど、相手は私の気持ちなんて汲んでくれていない。ただ、自分が面倒なことを誰かに振ってしまいたいだけのことの方が多いのだ。

実際に「正直、面倒です」と言ってみたら、それはそれは気持ちが晴れやかになったものだ。自分の本音をほんの少し言葉とタイミングを選んで発してみると、鉛のような心がスーッと晴れていくではないか。

「本音と建前」乱用注意

本音と建て前の乱用は自分の心の健康を蝕んでしまうような気がする。

嫌われることや白い目で見られることは、必ずしも自分の心を傷つけるとは限らない。でも、自分の本音に嘘をつくと確実に自分の心を傷つけている。

自分を守れるのは自分だけだ。

時には人間関係を円滑に進めるためのワザになるのかも知れない。それも事実だが、あまりにこの技を使い過ぎると、自分の時間の浪費にもつながるし精神的にも疲労してしまうだろう。

 

大人になると、次から次へと他人が私の生活にトラブルを持ち込んでくる。私はいつでも「自分の心は自分で守るんだ」と言い聞かせて生きるようになっていた。

 

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