【母の教え】美しい字は、私の人生に彩りを与えてくれた
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5月9日は母の日でしたので、母へケーキをプレゼントしました。
しかし、母の日も35回目。
なんだか新鮮味もないし、
惰性で祝っているような状況になっております。
母の日という大義名分で、
自分が食べたいケーキを買っているだけ、って感じです(笑)
はて?何に感謝しているんだろう?…と気づいたのです。
勿論、元気に生んでくれたことや育ててくれたことに
感謝の思いはありますが、
なんだか、ありきたりだなぁ…と感じます。
最近私の妹が出産し、
子育てについて「親目線」で考える機会が増えました。
その中で気づいた、「母が私に教えてくれたこと」。
その教えがあったからこそ社会人として、
なんとか今日まで過ごしてこれたように思います。
母の教育方針
私の母は、一風変わった女性です。
母は私を産んだ瞬間から、固い決意がありました。
「この子を絶対、絶対、薬剤師にするんだ」と。
私の母も薬剤師です。
母自身が薬剤師の仕事に誇りを持っていたのでしょう。
私の意思なんてお構いなしに、硬く強く決意したそうです。
私を産んでから22年間、
母は「娘を薬剤師にする」というゴールに向かって、
硬い意思のもと、子育てをしてくれました。
幼いころに母に叱られた私は、
「もう、うるさいなぁ」と思ったことは数知れず。
(ほぼ聞き流していたように思いますが…汗)
しかし、大人になった今、
「母から教わっておいてよかった…」と思うことが増えてきました。
ー親の教えと茄子の花は千にひとつも無駄はない―
まさにその通りなのです。
教わっておいてよかったと思うことは、数多くあります。
中でも、「書道を習わせてくれた」こと。
「美しい字」を書けるようになりました。
それは、私の人生に彩りを与えてくれたように思います。
美しい字を書くメリットってなに?
大学時代の手書きレポートも、
仕事でのちょっとしたメモも、
いつでも私は字を褒めて頂きます。
大学の先生には
「君のレポートのことはよく覚えているよ。
毎回、君の字は読み易かったからね。内容は・・・だけど」
と、仰っていただいてことがあります。
「内容は・・・」については、忘却しました(笑)
いいところだけ覚えておくことにします。
「読み易い字を書ける能力」。それは私の唯一の自慢です。
達筆な字、というわけではありませんが、
少なくとも私の字を読むのに「読みにくい…」とは感じないはず。
頭の良さや、
運動神経や、
仕事の出来を褒められることは皆無に等しいですが…
「ゆめのさんの字は読み易いよね」と、
字だけは本当によく褒められるのです。
このスキルが、最も役に立つのは、
大好きなタカラジェンヌさんへお手紙を書くとき!
私は何度か、タカラジェンヌさんへファンレターを書いております。
天海祐希さんから始まり、
最近では夢乃聖夏さん、瀬戸かずやさん宛てに。
そんな時、「自分の字を読まれることが恥ずかしい」とは思わないのです。
スラスラ~っと書けちゃう。
お渡ししたジェンヌさんにお読みいただけているかどうかは別として…
お手紙を書くことに、何の抵抗もないのです。
誰かに手紙を書くことは、楽しいです。
相手のことを応援したり、感謝の思いを伝えようとするだけで、
楽しい気持ちになりますから。
芳名録に名前を記入するのも、のし袋に記名するのもお手の物。
これ、結構便利ですね。
しかも人に褒められるだけで、ちょっと嬉しい♪
これと言った取り柄の無い私ですから、
字を褒められただけでも、私はご機嫌になってしまうわけです。
それもこれも、母のおかげです。
「相手に読み易い字を書ける」ってこんなに楽しみの幅が広がるのね!
と感謝しております。
私の字の歴史
皆様にお褒めいただく私の字。
このスキルは、書道教室で養いました。
小学校1年生~中学校3年まで、
書道教室に通わせてもらっていました。
放課後のクラブ活動のような感覚でしたが…
書道教室では、漢字の書き順から徹底的に教えていただきました。
字の書き順って、読み易い字を書く上で絶対必要なのです。
お教室でみっちり教わったことが、
今の私の字の原点になっております。
母が私に書道を習わせようと思った理由は、
「字は人に自分の思いを伝えるためのツールなのだから、
読み手が読み易い字を書いてほしい」
「美しい字でなくても構わない、心を込めて丁寧に書くことを覚えてほしい」
そんな想いがあったのです。
母と娘の文字戦争
私の字が褒められるようになるまでには、
母と私のちょっとした攻防がありました。
中学生になると、女の子の間で女の子特有のギャル文字が
流行ってきたのです。
お友達との手紙のやり取りで、
ギャル字をたくさん書くようになりました。
当然、私はテストの答案用紙にもそのギャル文字を書くわけです。
いかに上手にギャル文字を書けるか?
女の子の間ではそんな意味不明な流行があったのです。
ギャル文字で埋め尽くされた、アホ丸出し答案用紙を見た母は、
「字をきちんと書きなさい、お習字の先生に習ったように書きなさい!」
と繰り返し私に説いたのです。
国語の答案用紙にギャル文字を書いていたことが発覚した時は、
母は烈火のごとく怒りだし、心から私に落胆していました。
「こんな字を読まされる先生の気持ちになりなさい、
たとえ高得点を取っていたとしても、
採点する人が読みにくい字だったら、心から点数をあげたいと思いますか?」
などと、本気で怒っていたのです。
当時の私には母の真意を理解できませんでした。
私の思いは、
「別にいいじゃん、可愛い字だよ。全然勉強しなくても98点だし。」
(中学生の頃までは、抜群に国語の試験が得意だったのです…私)
激昂した母に対し、
私は反抗するでもなく、ギャル文字を治すでもなく、
そのまま放置しておりました。
母のお説教を完全にスルーしたのです。
中学時代の3年間は
「もっと丁寧に字を書いて!何のためにお習字を習わせてると思っているの」と
何度も母を怒らせ、同時に失望させておりました。
しかし、毎日夢中になって練習して手に入れたギャル文字スキルは
あっという間に錆びていきました。
私の生活に携帯電話が登場したのです。
友人同士の手紙のやり取りをしなくなりました。
高校生にもなりましたしね。
精神的にも成長し、
「ギャル文字の恥ずかしさ」にも気づいたのです。
磨き上げたギャル文字スキルは、青春の思い出に消えていきました。
幼少期に習ったことは自然と身についていて、
すぐに感覚を取り戻せました。そして現在に至ります。
母のおかげです。ありがたいです。
ありがとう、の言葉と共に
ー親の教えと茄子の花は千にひとつも無駄はない―
まさにその通りです。
私は母の日の機会に、このエピソードと感謝の思いを母へ伝えました。
母本人はすっかり忘れていましたね。
鬼のような形相で、私にお説教したことを。
でも、私の思い出を聞いて嬉しそうです。
「お習字習わせて良かったわ」と。
親にとっては、忙しい子育ての中のひとつで
記憶に残っていないことでも、
子供は案外、些細なことをしっかり覚えていたりするのです。
是非、身近な人へ感謝の思いを伝えてみてはいかがでしょうか。
感謝の言葉に、エピソードや思い出をトッピングして伝えると、
想い出話に花が咲くし、相手も喜んでくれます。
さて、父には何を伝えようか…
どの思い出にしようかしら。
そんなことを考え巡らすのも、ちょっと心が弾むような感じですね♪