ゆめのブログ

30代女の独身生活ブログ

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スマホからブログ更新。継続するには最強の方法だった。

最近noteも始めた。noteがとっても楽しい。ブログとTwitterの間みたいな感じだ。

 

ブログ更新も再開した。2022年は数記事しか更新できていなかったが。

 

スマホから更新している

今年はスマホのアプリから記事投稿をしている。去年まではPCを使っていた。

 

このPCを立ち上げる作業がめんどくさいのだ。仕事を終えてお風呂に入って1日の終わりにまたPCを立ち上げるなんてめんどくさすぎた。

だから、ブログを書くことがめんどくさくなって更新が滞った。

PCで更新しなければいけない理由なんてなかったし、寝る前にスマホチェック時間はとてつもなく長いのだからちょうど良かった。

 

なによりも、スマホの方が自然と言葉がスラスラ出てくる。普段、文字を打ち込む機会が多いのはスマホだから当然だが。

PCを使うのは仕事で報告書なんかを書く時だけ。

だからPCに打ち込もうとすると、肩に力が入ってしまっていた。課題のレポートや業務報告書を書くような気分になるのだ。

 

もっと早く気づけば良かった。スマホで記事作成、最高。

 

スマホ更新のデメリット

 

スマホのアプリでブログ更新の唯一のデメリット。それは過去記事の貼り付けができない...ような気がする。

調べてみたら、WEBから記事を開いてリンクURLを貼り付ける方法があるらしいが、これは手間だ。

とにかく更新する方が優先じゃないかな?と思う。

 

そのほかのデメリットは特に見当たらない。目次の作り方がよくわからないけど、別に目次がなくたって構わないだろう。

 

とにかく更新することが大事だよね?

 

とにかく更新が目標

 

2023年は緩やかに更新頻度を上げていきたい。昨年のような絶命寸前のブログにならぬよう。

 

今まで書いてきた190記事を見返して思う。

あーこんなことあったなぁとか、こんなこと考えてたんだーとか。

 

ちょっと前の自分が今の自分に語りかけてくれてるみたい。これがブログを始めた本来の目的だ。未来の自分へのメッセージとしてブログを始めたんだった。

 

ブログを閉鎖せずにいてよかった。

 

終わり

 

夢の中で病むってあるの?あるんだよ

夢を見た。

いきなり、元彼と別れた後の設定。私たちと同じような別の中距離恋愛カップルが目の前にいて、そのカップルはふたりで話し合って旅の行き先決めたりしている。

とにかくその夢の中の仲良しカップルは話し合いをたくさんするのだ。

 

うわ、ツラ

そんな理想的なカップルを遠目に見ていて、わたしは羨ましくて仕方がなかった。

なんで私たちにはできなかったんだろう?と思っていた。私はいつも喧嘩になるのが嫌で話し合うことから避けてたし、彼はカッコつけて私のことを理解したフリをしてた。

 

そんな自分たちが嫌だった、そうできないことに苛立っていた。でも目の前にいる夢の中のふたりは楽しそうにいとも容易く私ができないことをやっていたのだ。

 

夢のなかだというのに、これはツラい。

 

もしかして理想?

今見てた夢に現れたカップルは、もしかしたらわたしの理想なのかも。

なんでも話し合って、人生という旅の行き先を話し合える関係を作りたいのかもしれない。

 

でも現実は違って、いつだって私は話し合いを避けたり、誤魔化したりしてきたのかな、と。

 

話し合いをしてこなかった自分。話し合いをしたかった自分。現実と理想の恋愛のギャップに愕然とした。

 

しかも夢にまでみるってことは、結構強く求めてるんじゃないか?と思う。

 

理想は理想であって、現実じゃないことは分かっている。でも本当は諦めたわけじゃない。心のどこかでわたしにもコミュニケーションが取れる相手と出会いたいって気持ちがあるのかも知れない。

 

そんなことを夢の中で教わった気がする。

え?今日って何があった?と思う夜。

今日も白衣を着て仕事をしていたはずなのだけれど、帰宅したら一歳半の姪がいるので、昼間の出来事を全部忘れてしまった。

 

一歳児のエネルギー量が強いのか、私の忘却力が優っているのか、昼間の出来事を全て吹っ飛ばしてくてちゃってる。

 

まぁ、取るに足らない1日だったのだろう。

 

私としてはこういう1日が結構好きだ。昼間におきた悪いことも良いことも全部忘れてしまうくらいでちょうど居心地がいい。

 

脳のスイッチが思いっきり切り替わるような感覚で1日を終えたい。ただ、それが意外と難しい。そうできない日が多い。

 

昼間の鬱鬱とした気分を引きずったままとかに入る日もあるのだ。日中の感情の起伏を忘れてしまいたいと思っているのに。

 

今日がいい日でも悪い日でも、とにかく終わった。けがや事故がなく終わって、今夜を迎えている。それだけで良いと思う。

 

自家用車買い替えのタイミング。減価償却について考える。新車を買う?直す?

2022年11月のこと。私は新車を購入する契約をした。衝動買いと言っても過言ではない。

だって、今の車は3年しか乗ってないんだから。買い換えるには早すぎる気がするんだよね。

今更になって契約解除はできないから、もうこのまま買うことになるんだけど。新車購入はクーリングオフできないことはすでに調査済み。

あー、どうしたもんか。今は資産形成に励んでいる最中なのに。

自分の浅はかさが悔やまれる。

 

デカめの支出が控えてる状態は、なかなかのストレスだ。『新車購入 契約解除』とか検索しちゃったりしてさ。普通は新車購入ってもっとウキウキする出来事な気がするんですけど。

 

だったらなんで買ったんだよ?

なんで買った後に悩んでんのよ、と自分に問いかけている。

縁石に思いっきり擦って深く大きな傷ができてしまったからだ。

 

今の車種はヤリスで購入して3年め、走行距離は3万キロ弱。左側面に大きな擦り傷がある。それで下取り価格は110万円。新車のヤリス(大のヤリス好きなので)車体代価格は諸経費とオプション込みで203万円、実質の支払い額は93万円になる。

 

納車が車検日を過ぎた場合は、車検代を7万円追加して新ヤリスの購入代金の合計はおよそ100万円になる。

 

車体につけてしまった傷がことの発端である。真っ暗な田舎道で細ーい畦道を左折しようとした瞬間、それはそれは派手に縁石に食い込んだ。ガリゴリガリガリという絶望的な音がした。

 

あっ!?と思った瞬間にはもう遅かった。そのまま前に進むことはできなかった。仕方ないのでギアをバックに入れて下がった。下がった時もまた、あの絶望音が聞こえた。

ガリガリガリゴリガリガリ...

 

うぉー...まじかー嘘だと言ってくれー!むりー!と、田んぼに囲まれた畦道でたったひとりで叫んだ。大声で叫んだ。もう手遅れなのに。

そしてこの車体の傷は想像通り深く、想像以上に広い範囲にわたっていた。

前方のバンパー〜前のドア〜後ろのドア〜後ろのタイヤのホイールまでだ。

広い、デカイ。最も負傷が大きいのは前のドアである。ザーッとシザーハンドで撫でられたかのような傷である。

 

(シザーハンドの例えが古いか?)

 

で、この傷を治したいと思った。持ち物に傷がついているのが気に入らないのだ。私iPhoneの画面が割れたら直したいタイプなのだ。たとえその機能に問題がなくても、傷は直したい。

 

車体の傷を直すためにかかる費用は、ディーラー見積もりで24万円。板金屋さんで15万円。

いずれにしても、ほんの数秒の失態が大きな出費になる。絶望感に苛まれた。

 

で、ディーラーへ行く

ディーラーで修理の見積もりを出してもらうということは、新車購入を勧められることである。

営業マンだって人生かけて仕事してるのだ。私は完全にカモネギだ。

 

分かってはいた。もちろん、断るつもりだった。だが、いろんなタイミングが重なった。

板金屋さんの見積もりがまだ出ていなかったタイミングだったのだ。相見積もりの金額がわからないままディーラーを訪れてしまった。

 

板金屋さんとの相見積もりをするべきだった。それが手元にないのだから、新車の見積書は一旦家に持ち帰ってくればよかったのに。

なんとなく、お得な気がして買う方向になってしまった。

この『なんとなくお得かも...』が最大の失態である。

 

何がどうお得なのかちゃんと考えないから、後悔するのだ。

とりあえず計算してみる

後悔ばかりしていても生産性がないので、お得かどうかを改めて直近1-2年でかかる費用を計算してみた。

  • 車体のキズを修理する場合の代金が15万
  • ディーラー車検は10万〜15万
  • タイヤ交換で5万
  • オイル交換で10万

おそらく今年だけで40-50万円の出費になるだろう。

そして、40-50万円でメンテナンスしても車の価値は下がる。減価償却する。乗れば乗るほど価値は下がる。

 

以前乗っていた2015年式のヴィッツ(1300cc)は新車を150万円で購入し、7年間乗って7万キロ弱走行した。下取り価格は5万円だった。

 

  1. 減価償却費は7年間で145万
  2. 残存価格5万
  3. 年間で20万の減価償却をした

これは3年前の市場価格だから、参考にしていいのかは不明だが、目安にはなる。

 

というわけで、今のヤリスに当てはめて計算してみる。

  1. 3年乗ることになる
  2. 60万円(減価償却20万円/年×3年)を減価償却することになる。
  3. ヤリスの購入金額が188万円だから、今の残存価格は128万円くらい(188万-60万=128万円)。
  4. 今のヤリスには128万円程度の価値がある、ということになる。

 

128万円の価値のあるヤリスを110万円で売る。18万円のマイナスだ。

これから先支払うメンテナンス費(40-50万)を支払わずに済むプラス要因として考えると、22-32万円のプラスになる。(40万-18=22万〜50万-18万=32万)

というか、この先3年間は22-23万円を支払わずに済むという結論に至った。

 

3年間で22-23万の出費を抑えて、かつ新車購入なので車の価値は上がる。

まぁ、そう悪くないだろう。

 

車好きではないのなら乗り潰した方がストレスフリーかも

私にとってクルマは移動手段であってそれ以下でもそれ以上でもない。

 

主に片道10kmの通勤、仕事中の配達業務で市街地を走るのがメイン。それに加えて、箱根の山越えを含む伊豆半島への片道70-80kmの運転が月に2-3回。

 

この業務さえしてくれれば良いのだ。クルマにステータスは感じない。

 

今回の買い替えは金額面ではマイナスが少なそうではある。プラスにはならないが。

 

ただ一時的に大きな出費をら抱えるわけで、クルマ好きではない私としては精神的ストレスがある。

 

なので、せめて次の車は7年くらいは乗りたい。

  • 板金修理の相場を知ったこと
  • 減価償却の概念を知っていたので簿記の知識が役立ったこと

この点については私の人生経験にはプラス要因だ。

決めちゃったのだからもう気にするのはやめて、新しい車のナンバーで悩むとしよう。

 

終わり

 

『つまんないから帰ります』と言って帰ってきた。

ツマラナイ。そう感じた時は早めに退散してしまおう。そこで楽しくやろうなんて足掻いてもあんまりいいことは起きない。

逃げるのもアリだ。無理に立ち止まって踏ん張る必要なんてない。

 

というわけで、今日はさっさと帰ってきた。

 

昔はできてたのに

心が感じる時がある。あ、ここでは何を喋っても空回るな〜と気づいた時。その場所やコミュニティに自分へのニーズがないなぁと感じた時。愚痴と文句が多いコミュニティに身を置いた時。

 

34歳くらいまではそういう場所に居てもなんとか頑張ろうとする自分がいた。『誰にでも好かれる人』でありたいと思っていた。

 

つまらなくても苦痛だと気づいていても、その場から逃げたことはなかった。というか、そういう場に身を置いたことがなかったのだ。

 

34年もの間、恋愛以外の人間関係に悩んだことがなかった。いつも心は健やかだった。

 

ちなみに、恋愛の人間関係で悩むのは常。大抵は悩んで悩んで自らその関係をぶっ壊すのが恒例行事となっている。

恋愛においては、『来るもの拒まず』の精神でとんでもないバットエンドを迎えることばかり。

 

話は戻って、学校も仕事でも人間関係のいざこざに巻き込まれることはあっても、心から悩むほどのことではなかった。人間関係で悩んだことがない。

 

今思えば、その34年間も『あ、つまんなーい』と感じた時はそそくさとそのコミュニティから姿をくらましてきていたのだ。ごく自然と、私はコミュニティに深く首を突っ込まない技を持っていたらしい。

 

逃げ遅れた36歳

 

ところが昨年の私は様子が違った。『つまんないなぁ』と気づいていたのに、それをスルーしてしまったのだ。

 

その理由は、変化をめんどくさがったこと。職場で毎日つまんないと思っていても、転職したら給料下がるかもしれないし、異動したら通勤時間が長くなって面倒だしな...と思ってしまったのだった。

 

この発想がかえって私の健やかな毎日を蝕むこととなった。つまんないと叫ぶ心の声よりも、現状を変えたくない怠惰な心が勝ってしまったのだ。

 

結果、毎日ちょっとずつイラッとしながら過ごす日が2年くらい続いた。思いの外、時間を浪費してしまったと反省している。

 

結局、重い腰を上げて異動を申し出たが、逃げ遅れた感が否めない。異動なんてたいしたことじゃなかったのに。ほんのちょっとの間は不慣れなこともあるかもしれないけれど、徐々に慣れるのに。

地の果てで狩りをして生きろっていうわけでもないのに。大袈裟に考えすぎてた。

 

変えてみたら変わる

当たり前のことだけど、自分が身を置く場所を変えたら見える世界は変わる。一緒に過ごす人を変えたら、価値観も変わる。

 

変えてみたら、絶対に変われる。

 

考え方や意見なんていくらだって変わっていい。どんどん変わっていけばいい。ずっと同じじゃなくていい。いろんな人と関わっていけば、自分の視野は広がっていくのだ。

 

こんなシンプルなこと、知ってたはずなのに忘れてた。あまりにも今までの環境が良かったからだろう。

 

だからと言って昔いた場所には絶対に戻りたくない。

 

新しい世界を自分のあたりまえにしちゃえばいいんだ。

 

 

久しぶりに泣いた夜。結局、純愛に憧れる。

Netflixドラマ【初恋first love】の最終回を見終えた。

佐藤健さん、満島ひかりさんの魅力が満載だった。溢れる切なさと、真っ直ぐに人を愛する気持ちが2人を運命的に引き合わせていく。

ラストシーンに向かっていくにつれ、私の涙腺も崩壊した。感動して泣いたのは、1 年ぶりくらいだろうか。

 

泣くほど感動すると心がスッキリする。なんだかモヤモヤ、グズグズと燻る感情が成仏する感じ。

 

固くなる心

 

毎日仕事をしているだけの生活だって、何の問題もない。心穏やかに過ごしていれば、それ以上望まない。充分幸せ。

 

なんだけど、あまりにも生活にロマンスがなくなるとちょっともったいない。私たちニンゲンは感動できる心のアンテナがあって、感動することができる能力を持つ生物なのだから。

 

やっぱり胸キュンしたいじゃない?

実生活だったら無理

 

でもね、実生活で胸キュンすると大変なのよ。もし、息子の知り合いに佐藤健くんのような超絶イケメンがいて、好きになっちゃったりして、しかもその超絶イケメンが私なことを好きになってくれちゃったりしたら...(ドラマのストーリーと同じことがあきたら...ってことね)

 

いやー、無理無理。心がもたない。仕事に集中できない。気持ちがジェットコースターのように乱高下しちゃって平穏な日常生活なんて送れそうにない。

 

満島さん演じる也英ちゃんみたいに冷静に対応できるわけない。

しょっちゅう携帯見ちゃうだろうし、自分の発言を悔やんじゃったり、相手の発言を深読みして自爆するに違いない。

もしあんなに好きな人に出会えるのなら

佐藤健さんが演じるハルミチも、満島さんが演じる也英もお互いがお互いのことを忖度なしで、本気で愛し合っている。

一点の曇りもない、絵に描いたような純愛のストーリーだった。

最も印象的だったのは、ハルミチの也英への愛情の深さ。たとえ也英の記憶がなくても、他の誰かと結婚していた過去があっても、貧乏でも、高学歴でも、どんな姿でも好きでいるのだ。

 

こんなに愛せるって素晴らしい。相手が誰を好きでいようとも、誰と一緒にいようとも、好きでいる。こんなこと..ドラマだけだとわかっていても、ついやっぱり夢見てしまう。

 

それが未婚の彼氏ナシ女なのだ。

 

夢見る夢子でいたい

 

ドラマはドラマで現実世界では絶対に起こり得ないことなんだけれど、それを夢見させてくれる素晴らしいコンテンツだと思っている。

 

今までの人生経験からすると実生活で恋愛してる時期よりも、非恋愛期でドラマに憧れている時期の方が割と精神的に元気だったりする。

 

ちょっと何かが足りないくらいでちょうど良いのかもしれないな。

 

終わり

この先も【できないままでいいか】と思うこと3選

普段生活していて、いつまで経っても出来ないままにしていることがある。

 

交差点でのテンポ良い右折

私は毎日運転している。1日の平均運転距離は20-30kmくらい。大学院を卒業してから13年間、通勤で運転している。

 

趣味のスキューバダイビングをするために、自宅から伊豆半島のダイビングスポットまで片道120kmの運転をすることもある。月に1-2回は行っている。

 

それだけ運転しているにも関わらず、交差点での右折が大の苦手なのである。とくに、対向車が左折するタイミングで一緒にこちらも右折するのが、ものすごーーーーーく苦手だ。

 

いけるかな、どうしようかな?...なんで悩んでるうちにタイミングを逃してしまって、ほんのちょっとだけアクセルを踏んで、すぐブレーキを踏んでしまう。

後続車は「テンポ悪ないな、オバさんか?」思っているだろう。あぁ、そうだ。オバさん運転だ。

 

スキーとスノボ

雪と山が苦手だ。劇的に寒い中、ただただ高いところから低いところへ雪の上を滑るだけの行為に楽しさはまったく感じなかった。

 

大学時代と社会人1-2年目に4 回ほどスノボに行ったが、いつも1時間足らずで飽きた。私が下手すぎて何度も転ぶし、お尻は痛いし、足首も捻った。上手くなったからなんだと言うんだ。そう思ってずっと温泉に入っていた。

 

できなくてもいいや、と心の底から思っている。

 

 

料理

私は料理が大の苦手だ。レシピを読みながら料理していくことが苦痛なのだ。レシピを見なかったとしても、食材を買いにスーパーへ行ってレジに並んで、重たい食材を持って帰ってきて、下ごしらえをして...と何段階もの手間をかけることが苦しい。

 

しかも、どんなに時間をかけて手の込んだ料理を作っても食べるのは一瞬だ。

 

素人が作るより、レストランでプロに作ってもらった料理の方が美味しいに決まっている。

レシピ通りに作るのは小児の薬で充分だ。それ以外のことはできない。

薬剤師だからと言って、粉を測る作業が好きとは限らない。薬剤師だからこそ、そう言う作業をプライベートではやりたくないのだ。

 

 

たぶん、どれも『出来たら便利なこと』であって、『生きるために必須なこと』ではないと思っている。

 

できなくても生きていけるのなら、このままできなくて良いか。

 

終わり