毎月積立投資を続けたら安心感が高まった
私はいま、毎月10万円程度を株式投資に充てている。
この積立を始めて2年が経った。この2年間の積立のおかげで将来のお金の不安はずいぶん小さくなり、気持ちが楽になった。
現預金額は横ばい
2020年1月から積み立て株式投資を始めた当初から、積立NISA33,333円、特定口座で投資信託を16,667円、iDeCo23,000円、特定口座でETF(VTとSPYD)を30,000円。合計で約10万円。
この投資設定金額は2年間減らさずに、続けてきた。
評価額は上がったり下がったりしていて、必ずしも利益はプラスばかりではない。
時にはたった1日でマイナス5万円になる日もあった。
一方で、現預金は2021年1月ごろから横ばいで、ほとんど変化なし。
最低限の生活防衛資金だけを定期預金にいれて、投資に回さなかった分のお金はもう使っちゃう!追加投資額を増やす事はほとんどしない。車も買っちゃったし。
なので、現預金は微増もしくは横ばい。独身で実家暮らしなので、現預金をそんなに持ってなくてもすぐには死なないと思っている。
定期積立による心理的な安心感を手に入れた生活
とりあえず毎月10万円を株式積立して収入の15%ちゃちしている。それを継続するために確立した生活スタイルのおかげで、私は今かなり安心している。
旅行にでかけたとき、ちょっと大きい金額を支払うことになっても予算内ならオッケーと思える。不安に感じる必要はなくなった。
稼いだ分だけ遊んで使い切ってた頃は、月々のカード支払い額が決まるたびに不安を感じていた。このまま家計が自転車操業だと将来困るかも...と思いながら過ごす日もあったのだ。
お金の不安はやっぱりストレスで、遊んでるのに気持ちは遊びきれない中途半端な感じなのだ。結局お金の心配が着いて回るなんて、つまんない。
せめて遊んでる時くらいはお金の心配なんてしたくないじゃない?
ちゃんと積立NISAとiDeCoを満額定期積立と現金貯金をしていけば、おそらく大丈夫。大きくコケることはないだろう。
まだまだ先は長い。不安とストレスをできるだけ少なく生きていくためにコツコツやってこう。
終わり
モテる奴はそんなに偉いのか?問題について考える
Netflixドラマ【コタキ兄弟と四苦八苦】を見ていて、あるセリフが心に刺さった。
『モテる奴がそんなにえらいのか?』
『モテなくてもひとりで生きて幸せになれるって証明してみせる』
モテを意識してたころ
ここ数年、私もモテ/非モテについて考えている。モテないよりはモテた方がいい。男女問わず他人からモテると優しくしてもらえるので生きやすい。
怒られることも少ないし、困った時は助けてもらえる。その事実にはとっくに気づいていた。
だから私はいつも『人からモテていたい欲』があった。嫌われたくないってことなんだけど。
そのためにとにかく見た目が美しくいたかった。似合う服を着て、ピアスは毎日変えて、ネイルサロンに通った。
雑談の話題にも気を遣った。下品な言葉やジャンクなワードは使わない。エモいとかディスるとかヤバいと言うような言葉は絶対使わないことにしていた。
努力の成果なのか、それなりにモテた。新しい職場に行った頃は、よく外見を褒められた。『可愛い子が入ってきたらしい』と皆言ってるよと嬉しい噂を耳にすることもあった。
日々の努力の結果はちゃんと出たってわけ。
疲れた
そんな風に自分が憧れる人を演じているうちに、本性を曝け出す機会を減らしてしまっていた。
真面目に仕事する私、品よく振舞う私、女性らしい優しい私。ガサツでグータラな自分を脚色して、演じ続けた生活の中で出会った人たち。あえばいつも演じなくてはならない。モテるために。
そんなの疲れるに決まってた。案の定、昨年の私は散々だった。グータラで雑な本性が露呈しはじめたため、そのギャップに失望を与えた人がチラホラ。
そんな人だと思わなかった、本当の姿はどれ?、何を考えてるのかわからない、そう言った言葉を投げかけられる瞬間が多かった。
モテるための努力は続かなかった。
モテを捨てて
まぁ、人は皆時間が経つと見慣れるもので、ここのところ外見を褒められることはめっきり減った。それと同時に私自身もモテを意識しない毎日へ完全シフトした。
洋服を選ぶ基準はモテ/非モテではなくて、自分が身につけたいかどうか。その服を着るとテンションが上がるか、背筋が伸びる感覚になるか。その基準を明確に意識するようになっている。
だから、毎日ほぼ同じ服装で同じピアスをつけている。
最近はずっとやってみたかった髪色のブリーチをしてみた。メッシュが入れてみた。これがまたテンション上がる上がる!
毎朝、髪をブローすると嬉しくてたまらない。日によって色の感じが違うし、髪が揺れればまたイメージが変わる。髪に動きが出たような感じ。
そんなふうにして、自分のものさしで変化するようになってきている。
結論、モテる奴は偉い。それは努力をしているから。本当にすごいのは素直な自分でモテている奴だ。人間力で生きてる人。
どうやったらその人間力が養われるのかは今のところ不明だが、人生経験かな?なんて思っている。
まぁ、すごい奴になりたいわけでもなくて、ただできるだけストレスが少ない人生を送りたい。そのためにモテは上手に使いこなして生きたいなぁと思っている。
終わり
今まさに幸せの真っ只中@自分の部屋
今私はパジャマのまま、ベッドに横になって、Netflixドラマ【コタキ兄弟と四苦八苦】を見ながらこのブログを書いている。やりたい放題の滝遠さんが好きだ。
平日の午前10時、外は思いっきり晴れていて絵に描いたような青空が広がっている。部屋には日差しが思い切り差し込んでいる。外はめちゃくちゃ寒い。内臓まで冷えそうな勢いだ。10年に一度の大寒波が訪れているらしい。
ベッドには電気毛布があって、適温に保たれている。幸せだ、この瞬間のために生きていると言っても過言ではない。幸せすぎる。
グータラ民
ネットで知った「グータラ民」と言う言葉。これこそまさに私だ!と思った。
部屋から出たくない、ベッドから一歩も出ないと決めたら1日中そうしていられる。清潔にグータラするために、敷布団と掛け布団カバーは洗濯中。
歯の清潔は保ちたいので、朝食を食べた後歯磨きはした。
あとはもう何にもしない。絶対やらない。一歩も動かない。グータラするだけだ。
好きなものに囲まれる生活
私がグータラ民でいられるのは、両親のおかげだ。私が過ごしやすいように自室の壁紙を選ばせてくれたし、使いやすいクローゼットにしてくれたし、私の生活フロアにトイレと洗面台を配置してくれたし、冷蔵庫を置かせてくれた。
Netflixもアマプラも好きな本もこの部屋にある。誰にも邪魔されずに過ごす空間を提供してくれた。
37歳にして実家でグータラ民。人としてクソである。その自覚はあるが、だからと言ってその環境を変えて自立しなくては!なんて向上心はない。両親は私がいることで精神的な安定を得ているみたいだから。
両親に感謝しつつ、このグータラ天国を満喫しようと思う。
おわり
昨年の失恋について考察
Netflixドラマ【First love 初恋】を毎晩一話ずつ観ている。
初恋を思い続ける男女のストーリーである。私は久しぶりに恋愛ドラマを観ている。大失恋で深めの傷を負って負傷状態だったこともあり、観ずに温存していたドラマだ。
これを毎晩楽しんで見られると言うことは、深めの傷もだいぶ癒えて治ってきている証だと思う。
本当の気持ちには抗えない
大人になるほど好きを装うことができるようになる。心のどこかで『ホントは違う、なんか違う』と気づいていても、その気持ちに目を逸らして付き合うことができてしまう。
目を逸らした時間が長くなるほど、本当の気持ちを伝えることができなくなって、いざ『やっぱりごめんなさい』と言う日はとんでもない傷を負うこととなる。
まぁ、本当の気持ちに気づいておきながらズルズルと付き合ってしまったことが傷を負う原因なわけで、結局のところ自分のせいなのだが。
好きと思ったが実はそんなに好きでないと気づく、そのことを誤魔化す癖がついてしまう、という感じ。
ただ、一時的には誤魔化せても、ズルズルと付き合えたとしてもいつか必ず『違う、もうダメだ』って思う瞬間がおとずれる。本当にホントに些細なきっかけで関係は崩れてしまう。
私はあの台風の日だった。あの日台風が来てくれていなかったら、なんとなく調子良く誤魔化してしまえたのかもしれない。
でもとてつもなく大きな台風は私の心を萎えさせてしまい、彼の心のうちを知ってもなお笑って誤魔化す余裕も関心もなかった。
DNAで感じた『好き』と言う気持ちには抗えない気がする。逆に『なんか違う』と言う気持ちにも抗えない。残念ながら、あの日私たちはDNAで『この人ではない』と、気づいてしまったのだ。
なぜかうまくいかない人
私とあの彼は一緒にいてもうまくいかなかった。デートの会話も、デートの日の天気も。
いつも会話は噛み合わなくて、いつも天気は悪い。もうそれだけで、私たちの相性が良くないことは分かっていた。
少しずつ無理をしながら話を合わせて、少しずつ猫を被ってじぶんを良く見せようとしてしまう。
どちらかが悪いのではなくて、私たちは『うまくいかない相性』だったようだ。
こんなふうに相性の合わない者同士が一緒に同じ時間を過ごすのはとても辛い。
何のシナジーも生まれず、無言の時間が負担にさえ感じるのだ。
結果的には離れてよかった
あのまま一緒にいたら、2人ともが自分らしさを失うところだった。
お互い、もっと自分の良さを発揮できる居場所や仲間、あるいは新しい恋人がいると思う。
復縁だっただけに、お互いの思考の癖も理解していて撤収も早かった。もちろん、気持ちの整理にはかなりの時間を必要とするけれど、見かけ上はすぐに元の生活に戻った。
彼と別れた今、思う。10年間も夢を見させてくれてありがとう。昔の恋愛を思い出していた時間はとても幸せだった。
復縁して別れたからこそ、未練がなくなった。新しい恋を受け入れる心のスペースが空いた感じ。
私は前に進む、過去は振り返らない、そう改めて思う。
【お金の話】積立NISA、iDeCo、VTの自動買付を2年続けた心境
追加投資のタイミングは、いくら時間をかけて考えても思い通りにはなりません。
昨今の円安も株安も私の能力や経験では絶対に予想できなかったことです。
どうせ予想なんてできない
株式投資を始めてから半年間は、円をドルに変えるタイミングやVTを追加購入するタイミングを毎日考えている時期もありました。
それはそれは頭を抱えたものです。日々変わる為替レートを追いかけて見たり、為替に影響するかもしれない世界のニュースに敏感になってみたり。
まぁめんどくさいことこの上ない。
大抵、十中八九は予想したストーリー通りにならないのだから。投資初心者の陳腐なストーリーなんですね。
何時間もスマホを見つめながら『うーん🧐』と唸ってみているだけの時間は、なんの生産性もないのです。
普通に飽きます。『ま、いっか。この辺で買っとこ』となって結局うんうん唸った時間は無駄になるのです。
そんなことで脳のメモリーとエネルギーを使うのは馬鹿馬鹿しい、と思っています。
有意義な時間を過ごすために
投資タイミングについて無駄に考えるくらいなら、ブログを書く時間にあてた方がよっぽど良い。一応このブログはGoogle AdSenseの審査に通っていて、収益化できるのだから。
お金を増やすことにかける時間を稼ぐ方にシフトさせた方が生産性があると改めて思ったのです。
とはいえ、このブログの収益はとてつもなく少ないですが...(。-_-。)
マインドとしては、『増やす』より『稼ぐ』に重きを置いた方がより意義があると思っています。
そのために、SBI銀行でドルの定期買付設定をして、SBI証券でVTの自動買付設定を実行しました。
為替レートが円安でも円高でも、株安でも株高でもとにかく一定数のVTを毎月買付するのです。
そのおかげで、今では追加投資のタイミングについて考える時間はまったくなくなりました。空いた時間で読書したり、早めに寝るようになりました。Netflixも集中して見られるしね。
心穏やかにすごしています。
目的を明確に
積立投資をしている目的を明確に心に刻み、常に意識して行動することが重要だと思います。
私の場合は老後資金を作るため。歳を重ねて体力的に仕事がキツイな、と感じたときに使うためのお金をつくっているわけです。
だから、今現在の金融資産額を機にする必要は全くないのです。
今は生活を圧迫しない程度に投資を淡々と続けていくだけ。急ぐ必要もありません。
仕事は楽しくできてるし、健康です。今の仕事と健康を守っていけばいいだけです。
現状維持は意外と難しい
で、その現状維持。私の場合は『健康で楽しく仕事を続ける』ただそれだけ。
その中でも意外と難しいのが、楽しく働ける環境を維持すること。
今の私は積極的な姿勢で現状維持をしています。
突然入社してきた大嫌いな先輩や、無理難題を言う取引先など、うっかりしてると居心地の悪い職場になってしまう瞬間があります。
そんな時は思い切って環境を変えることも必要です。
現状維持のためには積極的に変化を取り入れていかなければならないこともあるのです。
例えば、異動や転職や引越しがそれにあたります。
ずっと同じ環境は続かないし、自分も自分の周りにいる人たちも歳を重ねて状況は変化していくのです。
その変化から目を逸らさず、時代の潮流や身近な変化に乗って現状維持をしていく。
それが『積極的な姿勢の現状維持』だと考えます。
とにかく続ける
とにかく資産形成は焦らないことが重要。そして、資産の増え方が思ったより遅くても嘆かずに放っておくこと。
大切なのは資産形成を20年〜30年続けていくことです。絶対に市場から退場しないこと。そのためには、無理をしないこと。それだけで十分。
私が積立投資を2年間続けてこられたのは、追加投資タイミングについて考えなかったから。自動買付、自動積立にして【やるべきことをシンプルにしたから】続けてこられたのです。
まだまだ先は長い!ゆるーくやっていこう^_^
終わり
記憶のない1日
何とも言えぬ虚無な1日を過ごした。
ただ出勤し、仕事をこなしただけの1日。どんな会話をしたのか、どんなことを考えたのか、どんな仕事をこなしたのか、全く記憶にないのだ。
寝る前になって、『あれ、今日は休みだったっけ?』と勘違いするほどの有様。いかに思考せず、機械的な1日をすごしたのかがわかる。
毎日がドラマ
基本的には毎日グータラしてたいし、大きな変化もトラブルも起きてほしくない。毎日決まったルーティンをこなすだけの日々にストレスは感じないタイプだと思い込んでいた。
しかし、実際は違っていた。
同じ職場へ行っても、その中で毎日変化に気づき、問題点を把握し、解決する能力が私には備わっているらしい。
だから、傍目に見ると同じ作業の繰り返しのような仕事でも、自分としては変化に富んでいてドラマチックに感じているのだ。
患者さんのプライベートな話に首を突っ込んでみたり、医師と共に治療方針についてうんうんうなってみたり、同僚と昔流行ったドラマの話で思考をフル稼働してみたり。
なんやかんやと日々ドラマがあるわけ。
それなのに
そんなドラマチック体質の私でも、時にドラマチックアンテナがぶっ壊れることがある。
変化を受け入れない場所に身を置いた時だ。保守的な風潮を重んじる場所。
目立ったことはしない、言われたことだけをこなす場所。目立ったら一発退場、変化を起こすなどもっての外、というような場所。
これはかなりストレスだ。日常にドラマチックさを求められないのだから。
今日は一日、そんな環境で仕事をしてきた。マジで何にも覚えていない。
サボってたわけでもないと思う。もはやそれすら記憶にない。
つまんなかったんだけど、気づいたこともある
いかに笑ったか、それが1日の出来栄えにつながる。今日は何にも面白くなかった。面白くしようとすればするほどカラ回っていた感じ。
芸人さんならスベッてた笑。
今日の勤務先は私にハマってなかった、ということだろう。ま、そんなもんだ。
いつも何時も歯車が噛み合うワケない。色んなコミュニティがあるのだ。自分らしさが出せない場所の方が多いに決まってる。
むしろ、普段居る場所で心を動かして、ドラマチックに過ごせていることに感謝だ。
改めて、今いる環境に感謝の気持ちが生まれた。
私はとても恵まれている。その事実が、過ぎていく毎日の中に埋もれてしまっていたみたい。
近くにいる先輩や上司に心から感謝したい。ありがとうございます。
終わり
めんどくさいと感じること5選
爪切り
爪を切ろうと思うサイクルが3-4日に一度やってくる。月に10回ほどそんな瞬間が訪れる。
マジで面倒だ。
しかも『爪は切らない方が良い、削った方が爪に優しい』という母からの謎の教えに縛られて、さらにめんどくささを増す。
手足20本の爪を削るなんてめんどくさいではないか。余計なことを刷り込まないで欲しかった...母よ。
洗濯物を畳む
洗濯して乾かすまではスムーズだ。めんどくさいとは思わない。
ところが、これらを畳んで然るべき場所へ戻すと言う行為になると、とてつもなくめんどくさいと感じる。
私は、室内で洗濯物を乾かしているので、朝はその干してあるものをそのまま着たい。
洗濯物干し場もクローゼットの一部と考えている。
どうせ着る物はワンパターンしかないのだから、延々と同じ作業を繰り返せばよいではないか。
今まさに、目の前に乾いた洗濯物たちが揺られているのを見ている。
駅まで歩く
私は電車が大の苦手。特に在来線や地下鉄など大勢の人が生活に使う電車に乗るのが苦手なのだ。
旅先でローカルな電車に乗るのはなんとかできるが、そこそこ人が乗っているのに、その気配を消している無機質な空間が苦手なのだ。
そんな電車に乗るために駅まで歩くのはもっとめんどくさい。
玄関出て3歩で出発したい。つまり、絶対車移動主義者なのだ。
夏だったら、駅まで歩く間に汗だくになってメイクは崩れるし、髪型も残念な姿に変わり果てている。
冬なんてもう、信じられない暗い寒い。駅までの微妙な距離では体が温まるほどの運動量にもならない。ウォーキングするのなら、目的地を決めずただ気の向くままにひたすら歩きたい。
電車の時間に合わせて行動することがめんどくさい。
皿洗い
特にめんどくさいのは夕食後の皿洗い。疲れているのに、まだ作業があるなんて絶望的だ。
できるだけ食器を使わずに食事を済ませたい。
しかし昨今のSDGsの流れを意識している私は、どうしても使い捨てのお箸やスプーンを使うことに抵抗を感じる。
使い捨ての箸ばかりを使うことに罪悪感さえ感じている。
なので、使う食器の数を出来うる限り減らしたいと考える。味の変化よりも、食器の数が少ない方がいい。
結果、なんでもかんでも大きめのお皿に全部乗せてしまうのだ。
もっと言えば、皿洗いが面倒なので外食することもある。何が食べたいものがあるからではなく、皿洗いをしたくないから外食するのだ。
とにかく、1日の最後に皿洗いはとてつもなく負担に感じる。
自分
と、こんな風に色々と「めんどくさい事柄」を並べてみて気づく。
私、すげーめんどくさい生き物じゃん。
終わり