記憶のない1日
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何とも言えぬ虚無な1日を過ごした。
ただ出勤し、仕事をこなしただけの1日。どんな会話をしたのか、どんなことを考えたのか、どんな仕事をこなしたのか、全く記憶にないのだ。
寝る前になって、『あれ、今日は休みだったっけ?』と勘違いするほどの有様。いかに思考せず、機械的な1日をすごしたのかがわかる。
毎日がドラマ
基本的には毎日グータラしてたいし、大きな変化もトラブルも起きてほしくない。毎日決まったルーティンをこなすだけの日々にストレスは感じないタイプだと思い込んでいた。
しかし、実際は違っていた。
同じ職場へ行っても、その中で毎日変化に気づき、問題点を把握し、解決する能力が私には備わっているらしい。
だから、傍目に見ると同じ作業の繰り返しのような仕事でも、自分としては変化に富んでいてドラマチックに感じているのだ。
患者さんのプライベートな話に首を突っ込んでみたり、医師と共に治療方針についてうんうんうなってみたり、同僚と昔流行ったドラマの話で思考をフル稼働してみたり。
なんやかんやと日々ドラマがあるわけ。
それなのに
そんなドラマチック体質の私でも、時にドラマチックアンテナがぶっ壊れることがある。
変化を受け入れない場所に身を置いた時だ。保守的な風潮を重んじる場所。
目立ったことはしない、言われたことだけをこなす場所。目立ったら一発退場、変化を起こすなどもっての外、というような場所。
これはかなりストレスだ。日常にドラマチックさを求められないのだから。
今日は一日、そんな環境で仕事をしてきた。マジで何にも覚えていない。
サボってたわけでもないと思う。もはやそれすら記憶にない。
つまんなかったんだけど、気づいたこともある
いかに笑ったか、それが1日の出来栄えにつながる。今日は何にも面白くなかった。面白くしようとすればするほどカラ回っていた感じ。
芸人さんならスベッてた笑。
今日の勤務先は私にハマってなかった、ということだろう。ま、そんなもんだ。
いつも何時も歯車が噛み合うワケない。色んなコミュニティがあるのだ。自分らしさが出せない場所の方が多いに決まってる。
むしろ、普段居る場所で心を動かして、ドラマチックに過ごせていることに感謝だ。
改めて、今いる環境に感謝の気持ちが生まれた。
私はとても恵まれている。その事実が、過ぎていく毎日の中に埋もれてしまっていたみたい。
近くにいる先輩や上司に心から感謝したい。ありがとうございます。
終わり