1人で老後を迎えたくない、家に誰かが居て欲しい、自分の味方になってくれる家族という存在が欲しい。
結婚したいと思う理由は様々だ。
しかし、独り身で暮らしていけるだけのお金と家さえあれば実際は1人でも生きていけるはずだ。
それなのになぜ、人は「結婚」を意識して、「結婚」を夢見て、「結婚」に至るのだろうか。
30代半ばを過ぎて思うこと
20代になってから女性は(男性のことはよく分からないので触れないでおく)、結婚を意識し始める。これから付き合う人と結婚するんだとか、今付き合っている人と結婚するかも、とか。
どうやら大多数の人は自然とそう思うらしい。
子どもが欲しいとか、経済的な理由もあるかも知れない。
しかし30代も半ばになると「好き=即結婚」には結びつかない。
どうしても、将来のことやお金のことや自分の家族との関係や、仕事の都合があって、おいそれと結婚には踏み切れないのだ。
だいたいお互いの性格の相性だってよく分からないのだ。
30代は20代の頃とは違う。30代になれば、個々の価値観は強く個性として心にも体にも沁みついているのだ。
理想の相手には様々な条件を付けるようになる。例えば、
お酒は飲まないで欲しい
タバコは吸わないで欲しい
倹約家でいて欲しい
毎晩、仕事終わりに料理は作りたくない
その理想は、日々細かく鮮明になっていき、そして確固たるものとなる。これを変えるのは非常に困難だ。非常に困難などころの話ではない。
独身者がこういった細かな条件を相手に求めるのには理由がある。
自分が生きていくのに必要なことだと確信しているのだ。自分が築き上げた居場所を守るためには、これくらいの細かい条件を必要とするのだ。
こうして条件を求めるのは、生きるか死ぬかの大問題なのだ。
30年以上の時間をかけて、今の生活を創り上げてきたのだ。変化が激しく、様々な価値観にまみれている多様な世の中を独りで生き抜くためなのだ。
そのために私たち独身者は、健康を維持し、友達との関係を維持し、趣味を見つけ、自分のご機嫌を取る方法を習得し、仕事でも信頼と実績を積み上げてきている。
30代半ばとはそういう技術を習得している年齢だ。
独り身で生き抜くために必死なのだ。
決してお気楽に生きているのではない。
独身だからと言って人生の責任が軽いわけではない。仕事で責任を負い、両親の老後の生活の責任も負うのだ。
私たちは「道楽主義者」なんかじゃない。私たちも一生懸命生きている。
結婚を考える、でも怖い
本当に好きな人と出会った時、人は結婚を意識するのだろうか。
どんなに確固たる独身生活を築き上げたとしても、この人の支えになりたいと思う瞬間が訪れてしまうことがあるようだ。
どうしても彼が良い、彼なら私は幸せになれるはず、と思ってしまうのだ。
決して誰かに頼りたいとか、そんな想いでは無いのだ。私なら彼を支えられるとさえ思ってしまう。本当に愛する人に出逢えた時だけだが。
だが、せっかく愛する人に出逢えたとしても、実際に結婚に踏み切ることは非常に難しい。独身者は今までの生活を変えることに強いストレスを感じるからだ。
どうしてもこの生活を変えていく自信が無いのだ。
そして愛する人なのに心の距離を縮められないのだ。いつまでもお互いが他人行儀で、素の自分を見せられない。
結婚を意識すればするほど、本当の自分姿をさらけ出せなくなるのだ。
それでも時間を重ねていくと、相手の嫌な部分が見えてしまう。その時、あの条件たちが頭をかすめる。
厳しすぎる条件が二人の距離を遠ざける。相手の嫌な部分を見てしまった時、やっぱり違うのかも知れないとか、この癖がどうしても気になる…。
そう思ってしまい、自分を守ろうとしてしまうのだ。
結局、自分が一番かわいいのかも知れない。
本当に好きなのは自分なのかもしれない。だから結婚できないのかも知れない。
だからと言って、人としての価値がないわけじゃない。イタイ女なんて言わせない。私たちも必死に生きているのだから。
自分の幸せは自分で決める。間違いない。
誰が傍に居ても、誰も傍に居なくても、自分が幸せだと思えるかどうかが人生の幸せを決める上で、最高にして最大の重要なポイントなのだ。