祖父との最期の別れ(暗い話ではないです)
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祖父が天に召された。91年に及ぶ長い人生の幕を下ろしたのだ。
祖父は最後の瞬間まで「あなたはこのまま独りで生きていくのですか?」と私に問い続けてくれた。
他でもない私自身がずっと目をそらし続けていたことを、臆することなく私に問い続けてくれたのだ。
感謝しかない。祖父がそう言い続けてくれたことは、私が「結婚」という人生のステップについて定期的に考えるきっかけになっていた。
もし、祖父が問い言い続けてくれなかったら、私は安易に「結婚」から逃げただろう。真剣に考えることもなかっただろう。
両親を含め周囲の人たちは、36歳になる私に「結婚」の話題には触れてこない。気を遣ってくれる、私と言う個人を尊重してくれる優しい世の中の風潮は、私の人生における重要な課題から目を逸らせてしまっていたのだ。
喧嘩した日
20代後半のころ、祖父と大喧嘩し1年近く会話をしなかった時期がある。原因は祖父が私に見合いをすすめてきたからだ。実際にお見合いは実行された。
私にとってその相手は不足のない方だった。高学歴で、大企業にお勤めで、真面目で優しい人だったのだ。
それでも私の女心が動くことはなかった。単に私のDNAが反応しなかっただけなのである。女としてそのお見合い相手に心を揺さぶられることはなかった。
そんな結果になったことに対して、祖父は「お前に相手を選ぶ権利などない!」とお怒りになったのだ。
なぜ私に選ぶ権利が無いのだ、権利が無いのなら私は誰も選ばない。このまま独りで生きていくという選択肢だってあるはずである。
「いい加減にして!私は仕事に邁進する人生を選びたい!誰かに結婚をすすめられるなんて絶対に嫌だ」と主張した。
祖父は「だったら誰が良いんだ?!」と反論した。私は答えた「木村拓哉か福山雅治みたいな超絶イケメンをリクエストするわ!」と謎の反論を返した。
祖父は呆れていた。男は顔じゃない…とう呟いた。顔じゃない、性格だと主張する祖父。イケメンを強く求める私。
私と祖父は「結婚」というテーマの話し合いは果てしなく遠い平行線をたどっていた。
とにかく祖父は私に妻になり、母になる幸せを得て欲しかっただけなのだ。
好きな人さえ大切にできない自分の情けなさを祖父に指摘され、図星過ぎてカッとなっただけなのだ。
おじいちゃん、ごめんね。あの時、私は恋愛さえできない自分の不甲斐なさや情けなさで心が荒んでいたの。おじいちゃんの優しさや、おじいちゃんの愛情には気づいていたけれど、素直になれなかったの。
それから半年が経った頃…
反省したかと思いきや、またも新たなお見合い案件を持ってきた。そして私は懲りずに祖父に言った。
だから、結婚なんてしないって言ってるでしょ!?と強く主張してしまった。
私と祖父は10年以上もの間、結婚についての落としどころを見つけられないまま最後の別れを迎えることとなった。
祖父は静かに諦めた
亡くなる3日前まで、祖父は「あなたはまだ一人で生きていくつもりですか?」と語りかけた。
最期まで私は「はい、その予定です」としか言えなかった。まだまだ、結婚へのステップを踏み出せるかどうか悩んでいるからだ。
そして祖父は言った。「そうか。それもひとつの人生かも知れないな」と言った…ような気がした。あちらも頑固だ。
スッキリ心から「独身の初孫」を受け入れられなかったのかも知れない。それでも、私の幸せを願ってくれていたのだ。
私の思う幸せと、祖父のイメージする幸せに大きな乖離があって、私があまりに頑固で頑なになり過ぎていたのかも知れない。
私のこれから
私には明日がある。明後日もきっとやってくる。これからの毎日には「あなたは結婚するんですか?」と心から問いただしてくれる人はもういない。
私はひとりで「結婚」や「幸せ」について考えなくてないけない。誰かに諭されなければ考えられなかった私は、今日から一人で考える人間になるのだ。
祖父は長い時間をかけて、私に問うてくれた。
あなたは、結婚して愛する人と歩む人生を選ばなくても良いのですか?と。
これからは私が私に問い続けることになるのだろう。