モテる奴はそんなに偉いのか?問題について考える
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Netflixドラマ【コタキ兄弟と四苦八苦】を見ていて、あるセリフが心に刺さった。
『モテる奴がそんなにえらいのか?』
『モテなくてもひとりで生きて幸せになれるって証明してみせる』
モテを意識してたころ
ここ数年、私もモテ/非モテについて考えている。モテないよりはモテた方がいい。男女問わず他人からモテると優しくしてもらえるので生きやすい。
怒られることも少ないし、困った時は助けてもらえる。その事実にはとっくに気づいていた。
だから私はいつも『人からモテていたい欲』があった。嫌われたくないってことなんだけど。
そのためにとにかく見た目が美しくいたかった。似合う服を着て、ピアスは毎日変えて、ネイルサロンに通った。
雑談の話題にも気を遣った。下品な言葉やジャンクなワードは使わない。エモいとかディスるとかヤバいと言うような言葉は絶対使わないことにしていた。
努力の成果なのか、それなりにモテた。新しい職場に行った頃は、よく外見を褒められた。『可愛い子が入ってきたらしい』と皆言ってるよと嬉しい噂を耳にすることもあった。
日々の努力の結果はちゃんと出たってわけ。
疲れた
そんな風に自分が憧れる人を演じているうちに、本性を曝け出す機会を減らしてしまっていた。
真面目に仕事する私、品よく振舞う私、女性らしい優しい私。ガサツでグータラな自分を脚色して、演じ続けた生活の中で出会った人たち。あえばいつも演じなくてはならない。モテるために。
そんなの疲れるに決まってた。案の定、昨年の私は散々だった。グータラで雑な本性が露呈しはじめたため、そのギャップに失望を与えた人がチラホラ。
そんな人だと思わなかった、本当の姿はどれ?、何を考えてるのかわからない、そう言った言葉を投げかけられる瞬間が多かった。
モテるための努力は続かなかった。
モテを捨てて
まぁ、人は皆時間が経つと見慣れるもので、ここのところ外見を褒められることはめっきり減った。それと同時に私自身もモテを意識しない毎日へ完全シフトした。
洋服を選ぶ基準はモテ/非モテではなくて、自分が身につけたいかどうか。その服を着るとテンションが上がるか、背筋が伸びる感覚になるか。その基準を明確に意識するようになっている。
だから、毎日ほぼ同じ服装で同じピアスをつけている。
最近はずっとやってみたかった髪色のブリーチをしてみた。メッシュが入れてみた。これがまたテンション上がる上がる!
毎朝、髪をブローすると嬉しくてたまらない。日によって色の感じが違うし、髪が揺れればまたイメージが変わる。髪に動きが出たような感じ。
そんなふうにして、自分のものさしで変化するようになってきている。
結論、モテる奴は偉い。それは努力をしているから。本当にすごいのは素直な自分でモテている奴だ。人間力で生きてる人。
どうやったらその人間力が養われるのかは今のところ不明だが、人生経験かな?なんて思っている。
まぁ、すごい奴になりたいわけでもなくて、ただできるだけストレスが少ない人生を送りたい。そのためにモテは上手に使いこなして生きたいなぁと思っている。
終わり