ゆめのブログ

30代女たのしい独身生活のブログ

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人間が複数集まると軋轢が生まれる。そんな時は怖がらずに自分の意見を言うことが大切。自分の心は自分で守る


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大人になるほど

大人になればなるほど、本音と建て前を使い分けるようになる。ここのところ、その現象に少々辟易している。

本当は「やりたくない」役割なのに、断れない。それは、自分をよく見せたいから。断ると相手に嫌われてしまうことを恐れるから。

本音では「うだうだ言ってないでとにかくやってよ!」と思っていてもそうは言えない。なぜなら、自分が同じことを言われたくないから。

そんな風に、大人になればなるほど本音をさらけ出す機会が減ってしまう。

私は30代になってその傾向がかなり強くなったと思う。自分の仕事で手一杯なのに、他の仕事を頼まれたら断れない。今後の付き合いのことを考えると、断れないのだ。

 

仕事では本業の薬局業務が山積みになって、気持ちも時間も自分の薬局業務に専念したいのに、バイト先の事務作業まで手伝う羽目になっている。

バイト先の業務に対しても、本業の業務と同じくらいのエネルギーをつぎ込んでいる。最初はいいかも知れない。でも、時が経つにつれ心が疲弊してくる。集中力がそんなに持たない。人間の集中力とモチベーションには限界があるのだ。

 

徐々にモチベーションが下がってきたことを自覚してからは、さらに精神的な負担が増えてくる。もはや投げ出してしまおうか…とさえ思う。

 

でも私は大人だから「もうやめた!」と投げ出すわけにはいかない。これもまた、精神的に大人になった証拠である。大人になるほど、仕事が増える。家庭での役割、仕事場での責任、趣味活動での人間関係、精神的に休まらないのだ。

本来はグータラ人間

自分のことをクズだと思う瞬間は多い。一日中ゴロゴロしていたいし、一日中部屋に籠ってネットフリックスを観ていたい。できることなら、ずっと寝ていても良い。

なんならパジャマのまま1日過ごすことだってある。食べるのも面倒で、1日中チョコレートだけ食べることもある。起きない、と決めたら昼まで寝ていたい。

料理はしたくない、溜まった洗濯物の前で呆然とする、ゴミ出しは大抵逃してしまう。

書き出せばキリがなく、ただただゴロゴロしていたい欲求の塊なのだ。

 

唯一、私が前向きに取り組んでいる趣味は、スキューバダイビング。それでも月に1回リゾートへ出かけられれば十分である。

海に潜ること、寝ることだけで生きていけたらどんなに楽だろう、と毎日思っている。そんな都合のいい話があるわけないのだが。

 

苦手分野

こんなグータラ人間の私にとって最も苦手とするのは、人との関わりである。趣味であっても仕事であってもどうしてもついて回る「居心地の悪い人間関係」。

仕事関係の人、恋人、家族以外の人とは極力連絡をしたくない。内容のない会話がどうも苦手なのである。

内容のない会話、何度も繰り返される誰かの陰口…これらは私の生活から一切排除したいのだ。どうしても大人の対応ができない。苦手だ。

こんな居心地の悪い場所にいるくらいなら、家で一人でグータラしていた方がよっぽど幸福度が高い。

私には「独りで寂しい」という感覚が無いに等しい。とにかく独りでいることに、この上ない安心感と幸福感を感じるのだ。

 

そうは言っても

こんなにも人との関わりに苦手意識があって、できるだけ回避してきたつもりでも、なぜか私は定期的に「面倒な人間関係」に巻き込まれてしまうのだ。

 

今は趣味で所属している市民オーケストラでの人間関係だ。大人げない言葉のやり取りがメールでもLINEでも繰り広げられている。

コソコソと本人のいないところで、その人の悪評が流れてくる。そんな淀んだ人間関係にはさすがに辟易している。

 

一度引き受けてしまったことなので、区切りの良い日まではきちんと役割をこなそうと思う。それは私のポリシーだから。バックレるのは避けたいところだ。

淀んだ人間関係に巻き込んでしまってごめんなさい、と言ってくれた人もいた。その人が私を引き入れた張本人なのだから、謝っていただくのは然るべきことである。

 

今までの私だったら「大丈夫ですよ、気にしないでください」なんて思ってもいないことを言っていたような気がする。

しかし、今は違う。思ってもいないことを言って、どんどん要求が増えて、自分の時間やエネルギーを消費するのはもうこりごりだ。

だから私はこう答えた。「正直言って面倒です、一度だけ言われてください」と。これはスゴイ成長である。こんなこと今までだったら言えなかった。

でも、今なら言える。なぜなら、いい人ぶって色んな役割を引き受けることは自分を蔑ろにしていることと同じだと気づいたからだ。

自分が思うほど、相手は私の気持ちなんて汲んでくれていない。ただ、自分が面倒なことを誰かに振ってしまいたいだけのことの方が多いのだ。

実際に「正直、面倒です」と言ってみたら、それはそれは気持ちが晴れやかになったものだ。自分の本音をほんの少し言葉とタイミングを選んで発してみると、鉛のような心がスーッと晴れていくではないか。

「本音と建前」乱用注意

本音と建て前の乱用は自分の心の健康を蝕んでしまうような気がする。

嫌われることや白い目で見られることは、必ずしも自分の心を傷つけるとは限らない。でも、自分の本音に嘘をつくと確実に自分の心を傷つけている。

自分を守れるのは自分だけだ。

時には人間関係を円滑に進めるためのワザになるのかも知れない。それも事実だが、あまりにこの技を使い過ぎると、自分の時間の浪費にもつながるし精神的にも疲労してしまうだろう。

 

大人になると、次から次へと他人が私の生活にトラブルを持ち込んでくる。私はいつでも「自分の心は自分で守るんだ」と言い聞かせて生きるようになっていた。

 

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