日曜日。私は仕事が休みで、可能な限り(いや、絶対に)ストレスを感じたくない。そう思うのに、私は大きなストレスを抱えている。
苦手な女性はいないが、苦手な男性はいる
世の中にはどうしても自分とは相性の合わない人が居る。男性でも女性でも。
特に私の場合には女性のストライクゾーンは広く、陰湿であったり意地悪である女性とは比較的うまく関係を構築できる。
相手が女性であれば「ま、いっか」と気楽に見逃せるし、女性のことは嫌いにならないことが多い。
問題は異性である。苦手と感じる異性に対しては一度でも「ムリ」というレッテルを張ることになったら、そのレッテルは絶対に消えない。「無理レッテルを貼った男性」に対しては親切さえ、鬱陶しいとしか感じられないのだ。
これは私だけなのだろうか?
意地悪な女性とはうまく付き合えるのに、うっとおしい男性とはどうしてもうまく付き合えない。DNAが拒否をするのだ。この性差は何だろうか?
おそらく私は男性に対して潔癖症なのだろう。特に、興味のない異性から自分が「女性」として認識された場合、嫌悪感を抱くのだ。男性に対してしかこの感情は生まれない。趣味でも仕事でも、好きと思えない男性と関わることは多大なストレスでしかないのだ。
些細な一言が潔癖症スイッチをONにする瞬間
私は趣味で市民オーケストラに在団している。その中にどうしても生理的に受け入れられない男性がいる。
雑談さえできないほど苦手意識を持ってしまっているのだ。申し訳ないがこの溝はもう埋まらない。苦手意識を持つようになったきっかけは、男性のささいな一言であった。
些細な一言が発せられるまでの経緯を説明しよう。
オーケストラの定期演奏会を開催するにあたり、演出係を任された。どうやら前回の演奏会では演出係の間でもめ事があったようだ。
その男性は、今回の演奏会準備でも揉め事が起こることを予想していた。その揉め事において私を味方にしようとしたのだ。結果、その男性は私へ個人的に前回の揉め事の経緯を話そうとしたのだ。
そしてある平日の23時頃。男性は言った。
「今までの経緯をお話したいので、お電話できますか?」と。
本当に些細な出来事だ。些細な一言だ。しかし私は嫌悪感を感じた。
なぜ個人的に電話をしてくる必要があるのか?しかも過去の揉め事の経緯をわざわざ時間を作って話す必要があるのだろうか?と。
この一言が私の潔癖症スイッチをONにした。
セクハラとまでは言えないけれど
「お電話で話せますか?」という一言は決してセクハラではない。一般的には。
でも、友達でも恋人でもない男性と仕事以外で話をすることは、あまりに距離を近づけすぎていると私は思う。
押しが強すぎるというか、端的に言えば…「怖い」のだ。もっと寛大になって細かいことを気にしないでフラットな気持ちで話せばよいのかも知れない。
でも、その電話の内容はおそらく(十中八九)誰か別の人の悪口や陰口であるに違いない。ストレスを感じる予感しかしない。
それはセクハラとかそんな言葉には分類されない感情だ。単にイヤなのだ。
仕事ではないので、逃げよう
繰り返しになるが、この人間関係は「仕事」ではない。「趣味」である。それなのに、我慢しながら生理的に受け付けない人と関わりを持つ必要があるのだろうか?甚だ疑問である。
疑問どころではない。答えは出ている。完全に縁を切ろう。ここで終わりにするのだ。この人と関わると自分の心のエネルギーを無駄遣いしてしまう。
定期演奏会の開催における役割は全うしたいので、それだけは最後までやり遂げよう。でもそれが終わればもう逃げよう。
周囲の人からもからかわれている。「あの人はゆめのさんのことを気に入っているみたいだよ?」と面白おかしくネタにしていたのだ。これはどうしても受け入れられない。
中学生でもそんなうわさ話はしない。
私は何と答えたらいいのだ。そもそもその男性に嫌悪感を抱いていることに悩んでいるというにも関わらず、その相手が私に好意的だと周囲がネタにするなんて…。
うっすら愛想笑いをするしかないのだ。
こんな居場所からは逃げるしかない。無責任だとは思う。たった一言で見切りをつけるようなドライな人間だと自分でも怖くなる。
でもさ、単に疲れちゃうじゃない?
わざわざ趣味の時間で自分の心を疲れさせるなんて…ね。