ゆめのブログ

30代女の独身生活ブログ

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私を傷つけた言葉が頭の中をぐるぐる回ってる。

うーん。なんだか頭の片隅にモヤモヤを感じる。

 

「ゆめの(私)って癇癪持ちじゃなかったっけ?」って言われたの。ついでに「君はヒステリックだよね」とも言われた。この言葉がどうも私の心を重くしてる。

こんなことを言ってきた人、デリカシーないよなぁ...。なんでそんなこと言われたんだろう。失礼だなぁって思う。

 

でも、事実といえば事実だし。自信無くすなぁ...。

 

 

頭にこびりつく言葉はどうやって消化したらいいの?

 

忘れるか、乗り越えるか、なかったことにしてしまうか。

多分そんな感じが正解なんだろうけれど、なかなかできずにいる。

 

たとえば、誰かにイラッとしたとき。「あ、やっぱり私って癇癪持ちなのかな?」とか思ったりして。いやーな気持ちになる。この繰り返し。

 

ちょっとマイナスの気持ちになると「癇癪持ち」と「ヒステリック」という言葉が頭をよぎってめちゃくちゃテンションが下がる。

 

どうしたらいいの?

数年ごとに大爆発する私

 

数年に一回くらいの頻度でブチギレるときがあるのは事実。自分で自覚ないままに何かに我慢してる時期が続くと、『もういい加減にして!』ってなって大爆発してきた。

 

他人の発言や行動が「なんかやだなぁ」って思ってるのに、それを我慢してるときにブチギレて大爆発する。

 

分かってる、我慢しなければいい。ちゃんと落ち着いて伝えればいいのだから、気持ちを言葉にして伝えればいいだけ。

 

でもさ、冷静に話したところで相手にはうまく伝わらないし、モヤモヤを消化できたことなんてないんだよねぇ。

だからどんどん我慢しちゃう。

 

いまは分からないけど

 

結局、私を縛る『癇癪持ち』と『ヒステリック』という言葉をどう消化したらいいのか全然わかんない。今のところ。

 

とりあえず、今のところはブチギレる予定はない。イライラすることもない。

 

もうしばらくこの感じで時々向き合ってみようと思ってる。

 

終った恋からの復活、できるだけ身軽になろうとした4カ月間

4カ月前のこと。私は恋を失った。

恋人のいない生活はもうすぐ4カ月になる。

この4カ月で私はいろんなものを捨てた。目に見えるモノだけでなく役職も、おかしなポリシーも。

古い靴

先週のこと、生まれて初めてコールハーン銀座店で靴を買った。

銀座の専門店で靴を買うなんて考えたこともなかった。お店に入っても定員さんに相手にされないかも…と一抹の不安を感じたが、勇気を出して(?)店舗に入ってみたのだ。

 

意外にも、定員さんは笑顔で私に近づいて来てくれた。そして、私の希望を聞いてくれた。接客をしてもらえたのだ。

私は2パターン、3つのサイズを試着した。定員さんは私に丁寧な接客をしてくれた。もちろん、今にも買いそうな勢いを感じたから接客をしてくれたのだと分かってはいるが…

素直に嬉しい。

門前祓いを食らわなかったのだ。

 

私は新しい靴を買った。その靴は私の歩みを軽くさせた。靴の性能のおかげともいえるかも知れない。クッション性が良くて歩きやすいから。

だけど、それだけではない。

ずっと欲しかった靴、この靴を履いて仕事へ出かける自分の姿を想像していたのだ。その自分になれたのだ。その気持ちが私の歩みを進めた。

 

購入したままの勢いで新しい靴を履いて、古いスニーカーは箱にしまって銀座の街へ歩き出した。

 

その日、私はもっともっといろんな場所を見たい、この靴を履いて仕事をしたい、そう強く思えるようになったのだ。

 

帰宅してからシューズボックスを開けると、たくさんの靴が並んでいた。最後に新しい靴を買ったのは5年前だったことに気づいた。

並んでいる靴たちのヒールは10㎝、この靴たちを履いていると足の小指は真っ赤になる。

 

この靴の中で、私は窮屈さを感じていたのだ。

 

だから、全部捨てた。ヒールの靴も履きつぶれて傷だらけになったローヒールの靴も、重たいだけのブランドのスニーカーも全部。止まっていた時が動き出す、新しいものを受け入れて歩き出す準備が整ったような気がした。

 

管理職という立場

私は11月1日付で管理職ではなくなった。勤務先も異動になった。自分から申し出たのだ。

管理職で同じ職場に居続ける以上、私はずっとストレスを身に纏ったまま生活を続けることになると感じたから。管理職であることは、私の仕事の目的や目標ではないと気づいたからだ。

役職が無くても今の仕事はできるはずだ、そう思えるようになった。

だから私は管理職を外れて、勤務先の異動を申し出たのだ。申し出はすんなりと受け入れられた。

 

管理職であることに対してさほど重荷を感じていたつもりはなかったけれど、いざ離れてみると、心はずいぶんと軽くなった。

 

その証拠に今日、私はブログをまた書いている。心の余裕ができたようだ。

 

管理職だったころの私は、職場での雑談でさえ参加できなかった。ひたすら目の前の仕事を黙々と片付ける日々が3年は続いていたと思う。

 

まぁ、それはそれは嫌な管理職だったと思う。本当に。申し訳ない気持ちが大きいが、いつまでもそんな謝ってばかりでは何も生み出さない。

 

仕事をして、誰かの役に立つ。丁寧に仕事をしていくことこそ、自分と仲間への感謝と謝罪になると信じている。だから私はもう一度、一番経験値の低い社員として新しい職場へ勤務し始めた。

 

良い人でいたい気持ち

 

どうも私の周りには心が弱った男性が集まってくるらしい。

それともなければ、周りにいる男性の心が弱ってしまうのか、隠している弱みを見せてくるだけのかも知れない。

要は不倫の要請である。既婚者が寄ってくる。既婚者がある日突然、プライベートでの連絡を頻繁に寄こすようになるのである。

 

これまでの私は嫌われることが怖かった。仕事の繋がりがある相手であれば、仕事を失うことが怖かった。だから、そんな弱った男性たちの望む言葉を返してきたのだ。

 

それが徐々に自分の気持ちを歪ませてしまうことに気づいた。

 

既婚者男性たちの目的は全く理解できないが、おそらく想像するに「大丈夫だよ」と自分を肯定し励ましてほしいだけなのだ。

自信を失っていたり、何か漠然とした憤りを感じているだけだ。

これは本当に厄介で、長引けば長引くほど拗れやすくなる。その先に何もない。

深い意味は無くても相手が望むような言葉はかけない。相手が望むような行動はとらない。

もしかしたら仕事も失うかも知れないけれど、もう二度と既婚者のプライベートには近づかない。

 

抱えたままでは気づかなかったこと

住む場所も勤務する会社も同じなのに、なんだか生まれ変わったような感覚になった。管理職ではなくなり、心に余裕ができた。おかげで新しい変化にも対応できそうな気がしている。

 

思っていたよりもたくさんのものを抱えてしまっていたみたい。

 

職場が変わるだけでこんなにも生活が変わるのか?と思うほど。生活の中の小さな変化にも気づくようになった。

 

季節の果物が美味しいとか、今日は晴れていて暖かくなりそう、とか。

 

そして、これから私はどんなふうに変化していくのかと楽しみに思えるようになってきた。

30代半ばの女はなぜ結婚できないのか?

1人で老後を迎えたくない、家に誰かが居て欲しい、自分の味方になってくれる家族という存在が欲しい。

 

結婚したいと思う理由は様々だ。

 

しかし、独り身で暮らしていけるだけのお金と家さえあれば実際は1人でも生きていけるはずだ。

それなのになぜ、人は「結婚」を意識して、「結婚」を夢見て、「結婚」に至るのだろうか。

30代半ばを過ぎて思うこと

20代になってから女性は(男性のことはよく分からないので触れないでおく)、結婚を意識し始める。これから付き合う人と結婚するんだとか、今付き合っている人と結婚するかも、とか。

 

どうやら大多数の人は自然とそう思うらしい。

子どもが欲しいとか、経済的な理由もあるかも知れない。

 

しかし30代も半ばになると「好き=即結婚」には結びつかない。

どうしても、将来のことやお金のことや自分の家族との関係や、仕事の都合があって、おいそれと結婚には踏み切れないのだ。

 

だいたいお互いの性格の相性だってよく分からないのだ。

30代は20代の頃とは違う。30代になれば、個々の価値観は強く個性として心にも体にも沁みついているのだ。

 

理想の相手には様々な条件を付けるようになる。例えば、

お酒は飲まないで欲しい

タバコは吸わないで欲しい

倹約家でいて欲しい

毎晩、仕事終わりに料理は作りたくない

 

その理想は、日々細かく鮮明になっていき、そして確固たるものとなる。これを変えるのは非常に困難だ。非常に困難などころの話ではない。

独身者がこういった細かな条件を相手に求めるのには理由がある。

自分が生きていくのに必要なことだと確信しているのだ。自分が築き上げた居場所を守るためには、これくらいの細かい条件を必要とするのだ。

 

こうして条件を求めるのは、生きるか死ぬかの大問題なのだ。

 

30年以上の時間をかけて、今の生活を創り上げてきたのだ。変化が激しく、様々な価値観にまみれている多様な世の中を独りで生き抜くためなのだ。

そのために私たち独身者は、健康を維持し、友達との関係を維持し、趣味を見つけ、自分のご機嫌を取る方法を習得し、仕事でも信頼と実績を積み上げてきている。

30代半ばとはそういう技術を習得している年齢だ。

 

独り身で生き抜くために必死なのだ。

 

決してお気楽に生きているのではない。

独身だからと言って人生の責任が軽いわけではない。仕事で責任を負い、両親の老後の生活の責任も負うのだ。

 

私たちは「道楽主義者」なんかじゃない。私たちも一生懸命生きている。

 

結婚を考える、でも怖い

本当に好きな人と出会った時、人は結婚を意識するのだろうか。

どんなに確固たる独身生活を築き上げたとしても、この人の支えになりたいと思う瞬間が訪れてしまうことがあるようだ。

 

どうしても彼が良い、彼なら私は幸せになれるはず、と思ってしまうのだ。

決して誰かに頼りたいとか、そんな想いでは無いのだ。私なら彼を支えられるとさえ思ってしまう。本当に愛する人に出逢えた時だけだが。

 

だが、せっかく愛する人に出逢えたとしても、実際に結婚に踏み切ることは非常に難しい。独身者は今までの生活を変えることに強いストレスを感じるからだ。

どうしてもこの生活を変えていく自信が無いのだ。

 

そして愛する人なのに心の距離を縮められないのだ。いつまでもお互いが他人行儀で、素の自分を見せられない。

結婚を意識すればするほど、本当の自分姿をさらけ出せなくなるのだ。

 

それでも時間を重ねていくと、相手の嫌な部分が見えてしまう。その時、あの条件たちが頭をかすめる。

 

厳しすぎる条件が二人の距離を遠ざける。相手の嫌な部分を見てしまった時、やっぱり違うのかも知れないとか、この癖がどうしても気になる…。

そう思ってしまい、自分を守ろうとしてしまうのだ。

 

結局、自分が一番かわいいのかも知れない。

本当に好きなのは自分なのかもしれない。だから結婚できないのかも知れない。

だからと言って、人としての価値がないわけじゃない。イタイ女なんて言わせない。私たちも必死に生きているのだから。

 

 

自分の幸せは自分で決める。間違いない。

誰が傍に居ても、誰も傍に居なくても、自分が幸せだと思えるかどうかが人生の幸せを決める上で、最高にして最大の重要なポイントなのだ。

 

 

今までの恋愛経験なんてくそくらえだ!

36歳になった。これまでに幾度となく恋愛を重ねてきた。

そのすべてに学びがあって、恋愛偏差値は高いと自負があった。

でも今、恋愛中の今、私はいままでの経験を思い返しても、活かそうとしても、どうにも身動きが取れない状況に置かれている。

今までの恋愛経験の棚卸をしようと思う。

 

不倫はすぐ近くにある

私が30代前半のころのこと、ある男性から食事の誘いを受けた。

同時にアプローチを受けたのだ。彼は私のことを「今世紀最高の女性だ」と、褒めまくった。

耳障りは良かった。

そして、最悪なことにまるで彼は私に対して完全な独身であるかのように振舞っていた。

彼の口説き文句はこれだ。

「土日は空いてるよ」

「家には誰も上げないんだ、来るのは君が初めてになると思うよ」

「離婚はしているけれど今は彼女もいないよ」

「君は今迄に遭った女性の中で最も優秀で、落ち着いていて居心地がいいんだ」

 

少々浮かれた私であった。

しかし、共通の友人から聞くところによると、彼は結婚していたのだ。私は呆然とした。それにも関わらずあからさまに独身を装っているのだ。

そして平然と私のことを口説いてくる。

この男の頭の中はどうなっているのだ。理性や倫理と言った思考回路が完全に欠落している。

 

私は事実を言った

「あなた結婚しているよね?」

彼は言った

「していないよ」

あっさりと言うのだ。あまりにもあっさりと言うものだから、呆れた。これ以上この男と一緒に居ても幸せにはなれない。

 

この男は、私に何を求めているのだろうか。私を幸せにするつもりなんて無いのだ。

この経験から学んだことは、思いのほか不倫は身近にある、心の隙を見せてはいけないということだ。

 

15歳年上の男

15歳年上の男性と付き合って最も強く感じたことは、「安心感」である。絶対的な安心感があった。彼はすべて私の都合に合わせてくれた。

 

デートの日も、旅行先も、食事の内容も、すべて私のために決めてくれたのだ。LINEをすれば必ず返信は来た。私からの連絡を無視することなんて絶対になかった。

 

だけど、彼は私の行動を把握したがるようになり、浮気を疑うようになった。彼の知らない場所へ行くことを不安に感じるようになった。

 

彼とは言葉が通じなくなってしまった。

いくら私が「浮気なんてしていない(事実)」と言っても分かってもらえなかった。

そして、何度も

「こんなに君に合わせていて、尽くしているのだから俺のこと愛してるよね?」と聞くようになったのだ。コミュニケーションが取れないと彼は言うようになったのだ。

 

私はそんなこと思っていなかったのに。

見返りのない愛などないと悟ったのだ。

 

覆水盆に返らず

高校生の頃に付き合っていた彼と大学院生の時に復縁した。最初はよかった。自分のことを何でも知っている人と付き合うのは心地が良かったからだ。

 

そして彼とは本当に安定した恋愛を続けられていた。私がストレスを溜めて爆発しても彼は次の日にケロッと忘れてくれていた。

 

とても気楽に付き合っていた。

しかし、彼は言った。「一緒に地元に帰って結婚すればいい。君は社会なんて知らなくていいんだよ」と。

 

その言葉は私を喜ばせるはずだった。でも私は喜べなかった。私は仕事をしたかった。どうしても自分で稼いで自分のために時間を使えるようになりたいと思っていた。

 

学生という縛りをほどいて、自分のために生きたいと思ったのだ。

そして私は彼に別れを告げた。やっぱり高校生の時に別れたのには理由があったのだ。別れるべくして別れたのだ。

少し大人になったからと言って、必ずしも恋愛関係が続くとは限らないと悟った。

時差に負けた恋愛

ハワイに行った時に知り合った男性とも恋愛をした。言葉の壁はあったがそれは問題ではなかった。

 

最もつらかったのは時差である。ハワイの朝は、日本の真夜中だ。彼が連絡をくれるのはいつも真夜中だった。体力が持たなかった。限界まで疲れた。

 

彼は当たり前のように私に言ってくれた。「どんなに距離が離れていても愛は変わらない」と。その言葉を信じて、付き合っていた。

私はハワイに何度も訪れた。でも彼は一度も日本へ来なかった。彼に会いにハワイへ行っても、いつも私は一人だった。彼は3つも仕事を抱えていたのだ。

 

彼は仕事だから、ひとりで観光できるのは気楽でいい、泊まる場所のことも心配しなくていい、自分で自分にそう思い込ませていた。

 

恋人が居ても、私はいつも独りだった。ハワイで。

 

そして、この生活は長く続かなかった。私にも仕事があった。体力の限界を迎えるまで恋愛をする必要は無いと思った。ハワイはたまに訪れて楽しむ場所であって、生活の場所ではないと悟った。

 

私は日本の国家資格を持った人間なのだ。

ハワイの煌びやかさに惑わされている場合ではない。自分の生活は自分で作る。

私はこの日本で自分の足で立って生きてくべきだと思ったのだ。

 

そして今

色々な経験をしてきたが、今の恋愛はどうだろうか。

些細な私の「もうオバサンだから」という自虐ネタ、飲み過ぎた私の姿を見て彼は失望していた。

 

謝罪はしたが、彼と私の心の距離が遠ざかったのは事実だ。

私はお酒に任せて何か暴言を吐いてしまったのかも知れない。飲み過ぎて覚えていないのだ。情けないが、事実だ。

 

考えても考えても分からない。

 

今までの経験なんて全く役に立たない。「もう帰る」とだけ言い残した彼の姿をとても怖く感じた。手も足も出ない。言葉なんて出てこない。

何を話したらいいのか、何を謝ったらいいのか、全く分からないのだ。

 

今までの経験を活かして、しっかり彼と向き合ってきたはずなのに、ひと時お酒を飲んだだけですべて壊れてしまったのかも知れない。

 

今までの経験なんて全く役に立たない。結局、どの恋愛も「初めて」なのだ。こんなにも多くのことを経験してきたはずなのに。

 

私は恋愛偏差値が高くなったなどと奢ってはいけなかった。謙虚に行くべきだった。でももう遅いのかも知れない。

 

今までの経験から言えることはただ一つ。

 

私は恋愛に向いていないってこと。

 

男女関係の答えは数十年後に分かるはず?

恋愛を経て結婚し、時を重ねていくにつれ男女の関係は深まっていくと思う。

数日や数週間や数カ月では答えは出ない。

 

結婚40年の両親をみて思うこと

私の両親は結婚して40年が経つ。

二人は40年の間、お互いの言葉が理解できない状況や、衝突を繰り返し、心の距離を置いたり近づいたりしながら40年を過ごしてきたのだ。

 

そういう時間を重ねて結婚生活をしたいと、私は思うようになった。

特定の愛する人の色んな姿を見ていたい。

時には、ウェッと吐き気を催したりしながらも、次の日になればケロっと忘れてまた生活を続ける。

それが理想の夫婦生活だと思っている。

急に心を閉ざしたり、急に黙ったり、そんなこともあるだろう。

でも、きちんと話せば気持ちはスッキリする。

勿論、男女の気持ちや考え方が完全に一致し、理解しあえることなどあり得ないと思っている。

 

人間として成長していくのが結婚生活・夫婦関係だと思っている。

私は、40年連れ添った両親を見て強く、強くそう思うのだ。

 

だから私は続けたい

今までこんな風に思ったことはなかった。

気に入らない部分が見えたらサクっと切り捨てる。そんな風に恋愛を続けてきた。

 

でも今は違う。私はもうそんな風に切り捨てようとは思わない。

 

好きだと思う人に出逢えたのなら、角をぶつけ合ってガチガチに喧嘩しあって、丸くしていく。そういう風に時間を重ねて好きな人と付き合っていきたい。

 

イヤな部分を見てしまっても、笑ってやり過ごしたり。失敗しても、ジョークにして笑い流したり。そんな風に思っている。

 

男女関係の答えが分かるのはいつになのか?

どれくらいの喧嘩をしていかなければならないのか?

相手のどんな悪い面を受け入れていくのか?

私のどんな醜態を受け入れてもらっていくのか?

 

それは分からない。しかも、そう思える相手に出逢える気もしない。私はいつになったら、誰かと喧嘩できるのだろうか。

 

 

自分の幸せを探し続ける旅は続く

お金、結婚、出産…30代も半ばになると将来のことを考えるようになる。

まだ遊びたい、もう遊びは終わりにしたい。そんな気持ちの狭間で揺れる気持ちはどう消化したらいいのか。



結婚を意識した瞬間

この人のことが好きだ!と心から思った瞬間があった。この人の奥さんになりたいと。転職してもいいかも知れない、今の職場を離れても構わないと思うほどだったの。

 

仕事はセーブして、家事に専念しても良いかもしれないってそう思った。本気だった。彼と一緒なら私は幸せになれる、そう信じていた。

 

彼の仕事へ向かう姿、彼の言葉、すべてを信じていた。

でも違ったかも知れない。

 

気づいてしまったかも

私はこれからもここで仕事をしたい。まだまだここで頑張りたい。本当はそう思っていることに気づいてしまった。

 

私の些細な一言で急にキレてしまった彼の姿を見て、気づいてしまった。

この先もこうやってこの人は私の些細な一言でキレてしまうのだろうか…その度に私は落ち込んで、彼の顔色を窺って生きていくのだろうか。

 

私は彼の機嫌を損ねないように窮屈に生きていくのだろうか。

 

そんな人生はまっぴらだ。

 

自分に問いかける

彼と一緒に居るから幸せなのか

彼が私の幸せの象徴なのか

私はどうしたら幸せになれるのか

将来への不安はどうしたら消えるのか

何度でも自分に問いかける。

私の幸せってなに?

どんな仕事をしていたい?

何をしていたら幸せになれる?

何度も、何度も、毎日、毎日。

歯磨きしている時も、お風呂に入っている時も、休みの日も、食事の時も、常に考え続けるのだ。

 

きっと幸せになれる、そう信じて常に自分で幸せに向かっていく。そうしないと見失ってしまう。

 

どこかの選択をはき違えてしまったら、将来の私は過去の自分にこう言うだろう。

「あの時の私を呪ってやりたい!」と。

 

そんな将来はごめんだ。

女はどうして男のサインに気づけないのか。気づけなくても挽回できると信じたい。

もうここのところ、ずいぶん恋人のことで悩んでいる。

謝り方がいけなかったのか、もっとたくさん謝るべきだったのか、それとも連絡をするべきではなかったのか。

仕事をしている時間は、そのことを忘れられるのだけれど休みの時間はなかなかツライ。何とか自分を奮い立たせて、日常生活を送っている

 

オトコのサイン

ある夜、彼は私に私たちのコミュニケーション不足についての問題提起をしてきた。私はそのサインを汲み取ったつもりだったが、どうやらその真剣さに気づいていなかったようだ。

 

彼は私と話をしたかったのだ。きちんと自分の悩みを聞いてほしかったのだ。私がそれに気づいたのは1週間もあとのこと。きっと長い間彼は悩んでいたのだろう。

 

それに気づけなかった。

人間は、心から悩んでいることを言葉にするのはとても難しい出来事だ。もし真剣に聴いてもらえなかったら、と怖がってしまうからだ。

彼も私もそうなのだ。だから目を逸らしながら、何んとなき表面的な話しをしてごまかしてしまうのだ。

 

男性が発するサインに気づけるかどうかは、女の器量ともいえるだろう。ここが難しいのだ。

男性の心のサインに気づけなかった時、女はどう行動したらいいのか。

きっと正解は、「何もしないで放ってく」であろう。

足掻くオンナ

彼を怒らせてしまった女はどういう行動に走るか。それは「許している、愛しているよ」という言葉が欲しいのだ。そして女から連絡を求めてしまう。

 

1人で考えたい男にとって、この行動はあまり好ましくない。というか絶対にやってはいけない。

 

そんなことは分かっていてもできない。情けないけどできない。

男はひとりで仕事に専念したいと思っているのだろう。

それでも女は彼のことが大好きだから、離れたくないから、心が彼を求めてしまうのだ。

女に他意はない。だけど、これは女自身を苦しめる行動なのだ。

結局、彼から連絡は来ないのだから。

30代になっていくつか恋愛を重ねても、女は男が怒るとパニックを起こしてしまう。そして足掻いてしまう。一生治らない女の性なのではないかと思う。

縁があれば

足掻くオンナ、心を閉ざしたオトコ。この二人が上手くいくのはもう「縁があるか」「縁がないか」しかない。

 

神のみぞ知る、と言ったところだろうか。

 

どちらかが歩み寄って、それを素直に受け入れられる器量があるかどうかによる。相性とも言えよう。

 

自分の努力ではもうどうしようもないのだ。しいて言えば、「自分がどうしたいのか」と自分に問い続けて、自分の幸せを自分で手にする方法や生活スタイルを続けることはできるはずだ。

 

彼と一緒に居たら幸せになれるのか

彼と離れたら幸せになれるのか

そもそも一人でも幸せになれるのか

自分が幸せになれる時間や場所はいつ・どこなのか

 

彼が居るから幸せ、彼に愛されているから幸せだと感じるのは違う。

彼は私を幸せにしてくれるコンシェルジュではない。自分の幸せを作るのは自分であると今一度思い直すのだ。

 

その先に縁がある二人はまた会える。それはもう「運命」としか言えない。こんな非科学的な考え方は性に合わないのだが。でももう考えても考えても絶対に答えは出ない。

 

とりあえず、足掻きまくったら女は天命を待つのだ。