ゆめのブログ

30代女の独身生活ブログ

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出勤時に気持ちがシャキッとしなかったら終わりのサイン。終わりのサインを自覚した後は?

私は調剤薬局の薬剤師として働いている。私は毎日1番最初に出勤している。7年間、毎日である。その理由は、一番最初に出勤してPCのスイッチを入れた瞬間、気持ちが仕事モードになるから、である。

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終わりのサイン?

退職を申し出て8日が経った。今日初めて思った。朝、開局30分前に出勤してパソコンをスイッチをオンにしたが、気持ちがオンにならない。

かといって、気持ちが落ち込んでいるのでもない。「あぁ、今日も仕事嫌だな」とも思わない。何とも思わないのだ。これは今までの私にとって初めての変化である。

 

これはどうしたのだろうか?なぜ仕事モードにならないのか。答えは2つある。辞職の意向を伝えているからだ。そして、同僚の中に「モンスター薬剤師」が居るからである。嫌とか、モチベーションが下がっているとかではない。何とも思わないのだ。

 

完全に終わった、と思った。もうこの職場に何も期待していないのだ。これから始まる1日に何のワクワク感も感じていないのだ。

これはもうこの職場での自分の役割を終えようとするサインなのかも知れない。こんな自分になってしまったことに驚くばかりだ。

勤め始めた7年前は、朝の開局準備をしながら「今日はどんなトラブルがあるか?」と不安に思ったり、「どうか今日が穏便にすぎますように」と願ったり、「今日はひとりでも患者さんの笑顔が見れたらいいな」と期待をしたり。これから始まる1日に期待と不安を感じていたのだ。

自分に期待できなくなったら…

調剤薬局の薬剤師は毎日同じ作業を繰り返しているイメージがある方が多いだろう。そもそも、何をしているのか知らない人の方が多いかもしれない。

実際はそんなことはない。毎日違う患者さんが訪れ、様々な悩みを吐露し、ほんの少しの手助けをして差し上げる、そんな毎日なのだ。

作業は同じでも、同じ日は一日もない。毎日毎日、ありとあらゆる問題が起きているのだ。

 

しかしそれは、自分が前進しようと思っている時だけである。毎日現状維持にシフトした瞬間、調剤薬局薬剤師はただルーティーンをこなすだけの「無の人間」になってしまうのだ。自分に期待できず、問題意識を持てず、時給を稼ぐだけの人間になってしまったらもう「薬剤師」として死んだも同然である。飽きてしまうのである。

 

時計を何度も見るようになった

薬剤師として自分に期待できなくなった瞬間から、処方箋を見ても何も感じなくなってしまう。その患者様の生活やニーズや悩みをイメージしにくくなる。ただただ薬をピッキングして投薬するだけの単純作業の状態になる。

 

そうすると、時間の経過が遅く感じるようになる。時計を見るたび「まだ30分しかたっていないな」とか、退勤時間までのカウントダウンをするようになるのだ。

これはもう、退職したいというサインである。こうなったら、気持ちを持ち直すのは厳しいかもしれない。よっぽど何か大きな問題でもない限り、モチベーションは戻ってこない。そもそも、「感情のない薬剤師」には難題やトラブルは降ってこない。

 

時計を何度も見るようになったことは、この職場に期待していない証拠だと思う。

 

サインをキャッチするか、スルーするか

さて、もうこの職場に何の期待もしていない「無になった薬剤師」であることは自覚した。このサインをキャッチして新しい職場を探すか、気づかなかったことにするか。

悩みどころである。

今の会社でのルールに慣れきってしまった自分。現状維持に慣れきってしまった自分の生活を変えるにはかなりのエネルギーを要することは、火を見るよりも明らかだ。

私は20代ではない。30代になって「退社するストレス」「新しい場所へ行くために必要な膨大なエネルギー」については理解している。

確かに「モンスター薬剤師」という同僚はいるものの、概ね自分の思い通りに仕事ができる環境は整っている。その自覚もある。

 

「終わりのサイン」をスルーしようとする自分と対峙する時間が増えた。本当にこれで良いの?変わらなくていいの?と囁く自分と、せっかくここまで頑張ってきたのに手放してしまうの?と抵抗する自分がいる。

 

本当の自分がどっちなのか分からない。どっちも自分の本心なのだ。

ある友人が言っていた、「今変わろうとする気持ちをスルーしたらきっとこの先も変われない」という言葉が頭の中でグルグルと回っている。

 

私は策士だ。退職日を半年以上先の12月末日に設定している。その間に退職願を出すかどうかを考えようとしている。30代になってズルくなった。戦略的に、逃げ場を用意しようとしている。

 

焦ってことを進めてはいけない。順に、ひとつずつ整理しきれていない気持ちと向き合っていこうと思う。

 

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転職はスキルの棚卸作業から始まる。いきなり転職先を決めてはいけない。スキルの棚卸はキャリアアップのスタートライン。

退職を申し出て1週間が経過した。昨日、転職エージェントさんにお会いして、転職先を紹介してもらっている。

私は現在、調剤薬局で薬剤師として勤務していること、転職先も調剤薬局を希望していることを先にお伝えします。

 

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自分の成長に気づく

私が過ごした調剤薬剤師としての11年間は、私のキャリアを少しずつ、でも着実に育ててきたことに気づく。

学校薬剤師としての役割を果たし、薬剤師会の公益事業に参加し、地域の他職種の方々との人脈を広げ、門前の先生とは「あ・うん」の呼吸で医療に携わってきた。

エージェントさんとお話したことは、多くの仕事をこなしてきた11年間であったことを再認識する機会となったのだ。

職務経歴書の自己PR欄の記入事項は、欄外にはみ出るほど伝えたいことがあった。自分の経験多さに驚いた。私はこの11年間、たった数行では伝えきれない面白い仕事をしてきたのだ。

自慢ではない。今まで淡々とこなしてきたと思っていたが、改めて仕事の目的・手段・成果を述べようとするとかなりボリュームのある文章に仕上がった。人生で初めての経験である。

就職活動の時は、自己PR欄を書くのがとてつもなく苦痛だった。だって、PRしたいことが無かったのだから。

「毎日遅刻せず、調剤・監査・投薬ができます」とその程度のことしか書けない自分が、こんな面白い仕事をしてきたんだ!と誰かに伝えたい、と思うようになった。

これまでの思い出と共に自分が歩んできた道を改めて見直す、それが転職活動のスタートラインなのだ。

キャリア・スキルの棚卸しをすると自信がつく

11年間、私はどんなスキルを得たのだろうか。それにより、会社にはどのような利益をもたらしたのだろうか。私の報酬はどう上がってきたのか。それを改めて振り返るのだ。

些細なことでも良い。毎朝薬局内の掃除をするようになったとか、処方監査にかける時間を増やせるようになった、とか。

大きなことであれば、個人在宅案件の新規開拓や継続である。個人在宅案件がまったくなかった状態だったことに問題意識を持ち、地域ケア会議や認知症カフェにも参加した。その結果、地位包括支援センターの方々との人脈を作ることに成功した。

今、地域包括支援センターからはコンスタントに月1~2人の個人在宅業務を依頼されるようになっている。

さらに、薬剤師会のオリジナル血圧手帳も作成し会員薬局へ配布している。広告代理店とのやり取りは非常に勉強になった。まったく前例のない状態から、企画しそれを具現化にしていく過程は非常にワクワクした。自分なりのオリジナルのモノを作るのは嬉しかった。

そしてそれが仲間の薬剤師たちの手に届き、日々の投薬業務に役立ててもらっている。今のところ、町内の薬局から3件の追加注文をもらっている。自分が作成したものによって他薬局の薬剤師との繋がりができることも嬉しかった。

薬剤師業務の世界を少し飛び出して新しい世界を見たような気分であった。

こうして私は11年間、勤務先の薬局を飛び出し外の世界を垣間見たのだ。薬剤師として。

こういった仕事は日々の生活に埋もれ、特別な思い出やスキルとは思っていなかったが、転職を機に職務経歴書を書き始めて気づいた。「貴重な経験だった」と。

どうやら私は、「なんでもやってみたい性格」のようである。薬剤師免許を利用して、多くの職種の方々と連携していきたいと思っているようだ。そして11年間実行してきたようだ。

 

スキルや経験の棚卸をしたら、少し自分に自信が湧いてきた。

次の一手はどこへ?いつ?

さて、このように私には多くの経験があることが分かった。その経験とスキルを活かしてさらなるステップアップを求めるようになった。

で、次のステップって何?これだけ色々なことをしてきて、次はどんな新しいことがるのでしょう?皆目見当がつかない。

がむしゃらに「やったことのないことをやってみたい」と思って走り続けてきて、そのすべてを叶えて、ふとモチベーションが止まってしまったのだ。

走り続けなければ死んでしまうと思っているが、走り続ける先が見当たらないのだ。もちろん、私の知らない世界はきっとある。私に足りないスキルはまだまだ大いにある。

胡坐をかくのは早すぎる。

でも、何をしたらいいのか分からないのだ。未だに「なんでもやってみたい」と思うが、「なんでも」の正体は一体何なのか。分からない。

しいて言うのならば、自分の稼ぎだけで生活をしてみたい。実家を出るのだ。自分の収入だけでどれくらいの生活ができるのか、試してみたいとは思う。

 

そのくらいだ。

その想いをエージェントさんへ伝えた。「家賃補助がある就職先もありますので、ゆっくり探しましょう」と仰っていただいた。取り急ぎ、手始めは家賃補助を受けながら生活をしてみようかと思う。今、明確に見つけた目標のひとつだ。

 

そんな風に、毎日少しずつ新しい目標ややりたいことを新たに見つけていこうと思う。

 

 

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仕事を辞めたい理由を徹底的に考え抜く。ホントに辞めたいの?

5日前に辞職を申し出た。その後、心境の変化が訪れている。

私は町の調剤薬局に勤めている。敷地内には診療所があるという状況を先に説明させていただく。

 

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門前クリニックの先生の言葉

今朝、薬局前を掃除していると門前の診療所の医師から尋ねられた。「もう会社辞めるって決心しちゃったの?」と。あれ。昨日までは「会社辞めて沖縄で再就職でもしたら~?♪」なんて言っていたのに。

 

これは…何か真意があるのでは?と察知したので、「そうですね~…」と曖昧な返事をしてみた。こういう時は曖昧な返事を返すと決めている。相手が何かを伝えたいと強く思っていることを察知したら、白黒ハッキリさせるような返事はしない。

「はい、もう決めました」と言ってしまうのは非常に簡単だ。しかし、相手に何かしらの想いがあるとするのならばこちらははっきりとは答えず、相手が話しやすいような返答をするのが最適である。これは、単なる私の会話術である。(余談)

 

そして、医師は言った。「何か決定的な理由があるなら止めないよ。でも考え直す余地があるのなら、もう一度考えてみてくれないかな?こちらは業務内容が大幅に変わるので、薬局さんの体制も変わってしまうのはあまり好ましくない。そして、あなたに頼みたい仕事がある」と言った。

 

訪問診療を開始するにあたり、薬局の力が必要だとのことだ。

 

そうか…悩ましい。これは非常に魅力的な仕事である。門前の先生が一から在宅診療を始めようというのだ。

どんなことでも、スタートを切る瞬間に立ち会える仕事は非常に幸運なのだ。スタートを切ったときは鳴かず飛ばずでも、PRしたり、営業をかけて徐々に顧客が現れる。その営業方法を試行錯誤するのも実に楽しい。自分の実力を試されているような感覚に陥るのだ。時には失敗を繰り返しながら、業務を軌道に乗せる、そして自分たちなりの仕事の方法を見つけていく。その過程は本当に楽しい。

 

そして、先生はその業務を私にも手伝って欲しいとそう言ってくれたのだ。

信頼している仲間の言葉

今の薬局がオープンし立ち上げのメンバーとして今でも務めてくれている仲間がいる。その仲間の女性に先ほどの先生の言葉を伝えてみた。

「先生が訪問診療を手伝って欲しい」って言ってくれた、と。

そして、彼女は言った。「本当に辞めていいの?やりたいんじゃないの?」と。この7年間、何度もモンスター従業員を見過ごしてきたじゃない。のらりくらりと適当な距離感でやってきたじゃない。

60代の仕事を覚えられない従業員も、何事も情熱的で暑苦しい正義感を振りかざしてきた30代薬剤師も、意地悪で人の成果や手柄も自分の成果として横取りするような姑息な50代事務員も、一緒に乗り越えてきたじゃない。

 

私たちは、決してことを荒立てず、じっと耐えてきて今があるじゃない。たった一人の怪物薬剤師のために、本当に辞職するの?やりたい仕事があるのなら、邁進してよ…と。

本当はやめたくないの?と彼女は私に問いかけた

自分からでた驚きの言葉

彼女からの問いかけに私はついに言葉にしてしまった。

「あの怪物薬剤師が辞めてくれればいいのに」と。

最悪だ。こんな言葉は絶対に口にしてはいけない。しかし結局それなのだ。怪物薬剤師さえいなければ、今の職場は天国だ。

言葉にしてみて気が付いた。私は、怪物薬剤師のことが苦手なのだ。その怪物っぷり(遅刻、私語、だらしのない身なり)が生理的に受け付けないのだ。

 

しかし、怪物薬剤師はすでに61歳である。退職はしないだろう。会社が許せば定年はない。言ってしまえば、老害である。

学ぶ意欲もなく、大声で投薬をし患者さんのプライバシーも考えない。ピッキングもままならない。字が汚くて、監査支援シートには何が書いてあるのかも判別できない。

礼儀正しい患者さんを怒らせ、不快な思いをさせる。業務終了時にはトイレに閉じこもり、時間を稼いでいる。

最悪だ。私には受け入れられない。会社員としてマナーがなっていない。信頼できない。

居なくなって欲しい、それが私の本音だった。こんなドライで冷徹な感情を自分が持ち褪せていることの方に驚いた。受け入れがたい人を受け入れようとするあまり、心はすさんでいった。受け入れられない自分を責め、負けを認めたくなった。

この怪物薬剤師にすべてを渡してしまおう。もうこの人にお願いして私は尻尾巻いて逃げてしまおう。

そんな想いに駆られてしまったのだ。とどのつまり、私は怪物薬剤師が辞めてくれたらそれでいいと思っている。現実にはそうならないのだが。

こんな最低な感情を持つ自分にも情けなくなる。もっと寛容になればいいのにと思う。

 

36歳、十分寛容さを身に着けた自負があった。でもそれは、周囲の皆さんの温かい常識的な配慮に恵まれていたことに気づく。

 

今、私はどうしたらいいんだろう。取り急ぎ、出た答えは「怪物薬剤師」と関わらないことにする、ということである。

フーテンの寅さんになるのもアリだと思う。

4日前に辞職を申し出た。次の職場を探しているが、どこもかしこも変わり映えしない。どこも一長一短なのだ。

ついに、思考が突き抜けそうである。定住する必要性を感じなくなっている。

 

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定住しなくても良いかも

私には国家資格がある。選り好みさえしなければ日本全国で働かせていただけるのだ。昨今は派遣薬剤師という立場の先輩方も活躍されている。非常にありがたい。この資格を取るために命を懸けてくれた両親に心から感謝している。

 

地方でも構わない。海があればなお良い。どこでもいいから、どこかへ行きたい。人手を必要としている場所があるのなら、そこへ行って数週間働く。そんなスタイルで日本全国を歩き回るのも良い。

疲れたらまた地元に戻ってくれば良い。どこかに定住する必要性を感じなくなってきた。

夢の寅さん

私はフーテンの寅さんに憧れている。私には海と薬局さえあれば楽しく生きていける自信がある。願わくば海の綺麗な海の近くで仕事ができたら、この上ない幸せである。

 

美しい海を求めて、時には、寒い地方でもよい。北海道や東北地方は未知なる世界だ。せっかくの国家資格なのだ。日本全国、津々浦々旅するように仕事してみてもいいのではないか。

まるでフーテンの寅さんである。ちょっと気が向いたら地元へ帰ってくれば良い。ちょっとだけ時間を過ごして、また旅に出る。多くの薬局へ勤務して、経験を積むのも良い。夢が膨らむ。

 

考えが甘いだろうか。仕事は続けたいが、どこか遠くへ行きたい。そんな夢は夢のままになってしまうのだろうか。

 

絶対に外せないことを見つける

今、私の人生で大切にしている趣味は3つ。スキューバダイビングとフルート演奏と宝塚鑑賞である。

このすべてを抱えていくにはちょっと多すぎるかも知れない。考えに考え抜いた結果、私が絶対に守り抜きたいスキルはスキューバダイビングである。

どうしても外せない。これだけは体力の限界が訪れるか、けがをするまでは絶対にやめられない。ダイビングのために転居するのは厭わない。

もちろん、旅行で色々な場所へ行くのも楽しいが、毎回その場所その場所で「ここに住めるだろうか?」と憧れを感じていた。

八丈島久米島、座間味、石垣島宮古島伊豆大島式根島宮古島も…どの場所もそれぞれの良さがあった。旅行客ではなく、その場所に数週間暮らしてみたいと思っていた。どうしても、離島暮らしの憧れが捨てきれない。

 

何かを得ようと思ったら、何かを一旦お休みした方が良い。あれもこれもやろうと思ったらお金も時間も絶対に足りなくなるし、中途半端になりそうだ。

 

結婚は?彼氏は?

そうである。私にはイケメンの年下彼氏がいるのである。これはどうしたものか。結婚するかも?的な雰囲気はあるものの、お互い完全に自分の人生を生きている。仕事と遊びに勤しんでいるのだ。

 

離島生活を本気で叶えてしまおうとすると、彼は私の元から去ってしまうかも知れない。彼と共に生きる人生と、長年の憧れであるフーテン生活。私にはどちらかしか選べないのだろうか。こればかりはどっちも捨てがたい。

 

人間はどうしてこうも欲張りなのか。彼が居なければ仕事を辞めようと思わなかったクセに、いざ辞める決心ができたら自由が嬉しすぎて、彼を忘れかけてしまっている。これはもう激しく悩むしかない。

 

かけがえのない海への憧れと、彼への恋心に挟まれて、仕事の引継ぎを疎かにしてしまいそうだ。

 

 

 

36歳独身女、会社やめるってよ

3日前、雇用主である社長に「今年いっぱいで仕事を辞めたい」と伝えました。

「そうですか」とのひとことで、言いも悪いも何も返事なし。

本当に辞意を表明してよかったのでしょうか。まだ迷っている自分がいます。

 

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私は「調剤薬局勤務の雇われ管理薬剤師であること」を先に説明させていただきます。

 

会社を辞める理由①

ひとつ、だらしない社員がいるからです。それに引っ張られるように他の社員も日に日にだらしなくなっていっています。私は管理職ですから、そうそうは見過ごせません。

だらしない社員は60代の大ベテラン。私の言葉は全く彼女の心に響いていないようです。注意をしても3日で忘れる、遅刻出勤は当たり前、仕事は途中で放棄する、お客様の話は途中で遮る、お客様を待たせて私語が多い、これはもう完全なモンスターではないでしょうか。

 

いくら注意しても、厳しめに言っても、優しく言っても全く反応がありません。さすがに辟易してきました。この状態が続いて2年。さすがに疲れてきました。

 

会社を辞める理由②

それに加え、オープンから一緒に頑張ってきた門前の先生が来月一杯で退職される運びとなっています。

 

その先生を尊敬しているし、友人のように気軽に話し合えたし、先生の性格は穏やかでさっぱりしていることもあり、とてもよくしていただきました。

先生と一緒だったからこそ、様々な苦難を乗り越えてきたのです。先生が新しい生活へ移行し、さらに充実した人生を送ってくださることはとても嬉しいです。

 

先生がもういない状況で、この変わり果てた薬局でもう一度モチベーションを挙げられるだろうか…無理だろうなと感じています。

 

会社を辞める理由③

目標を達成した。私が今の薬局に勤め始めた頃は、いくつかの目標がありました。施設在宅業務をすること、学校薬剤師を務めること、休日診療のアルバイトをして人脈を増やすこと、自分の営業力で個人在宅案件を受けること。

そのすべてが今、叶えられています。

 

自分がやりたくてやっていることだから、と一生懸命に取り組んできました。関わってくださった他職種の方はとても優秀で、一緒に仕事をしていて刺激を受けます。私の人生の幅を大きく広げてくれました。とても感謝しています。

しかし、今のままではこれ以上の成長は見込めないと考えています。

 

辞めたい理由④

実家を出た方が良さそうな気がしています。社会人になってから実家暮らしを初めて10年が経ちました。両親は相変わらず元気で、仲良くやっています。

 

しかし、たった一度の人生で「独り暮らし」を未経験のままでは悔いが残るような気がしています。私は学生時代は(親の援助をうけながら)独りで暮らしたことはあります。しかし、家賃も光熱費も自分で支払ったことがありません。

 

実際に賃貸情報を見てみると、今の私にはとても大きな出費のように感じるのです。今までは「家賃払うのはもったいないから、実家にお金を入れていよう」と思っていました。しかし、やはり人間たるもの一度は独立して生活してみるのも良いのでは?(というか、するべきなのでは?)と思うようになりました。

自分が安心できるくらいの生活防衛資金が溜まったことあり、最近ではそう思えるようになってきたのです。

 

実家を出る怖さ

今は、ほんの数万円程度しか両親に支払っていませんが、今後独りで生活するとなるともっともっと固定費が上がるわけです。

少ない固定費で、余った分は投資と遊びに使う。そんな毎日を10年も送っているとさすがに新しい生活へ変化することが怖くなってきます。かなり怖いです。

家賃を払ったらお金が無くなって死んでしまうのではないか…とさえ思うくらいです。

独り暮らしをしてみた場合のシュミレーションをしてみましたが、余剰資金は4万5000円程度残ります。十分かと思いますが、今までの1/5にはなってしまうのです。

今までのように気軽にスキューバダイビングに行ったり、宝塚に行ったりできない可能性は大いにあります。

 

絶対できないような気がしています。

 

36歳にもなって、独りで暮らす不安が大きくて情けない限りではあります。ホントに。

再就職先はすぐに見つかるとは思いますが、「自分が何を優先したいか?」がまだはっきりしていないのです。

これを徹底的に考える必要があります。不安を払しょくするにはそれしかないのです。

さぁ、鬱々考えていても仕方ない。自分と対話して、自分が今後どうありたいかを今一度考え直してみようと思います。

 

36歳独身女、結婚について真剣に考える。

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満ち足りた毎日

大学を卒業して12年が経った。

会社員生活も軌道に乗り、仕事のペースをつかめるようになってきた。12年間のキャリアは今、成果となっていることを実感している。

趣味のスキューバダイビング歴も10年目を迎えた。初めて訪れる海でも楽しめるようになった。機材は十分にそろえた。今、私は中級~上級ポイントにも抵抗なく潜れる実力を持っている。

姪も生まれた。心から可愛いと思う。子育ての大変さも垣間見ることができた。

両親はまだ60代、大きな病もなく元気に仲良く暮らしている。

友人は結婚・出産を経て私に結婚と出産の楽しさや苦労を指南してくれる。嬉しい限りだ。

老後生活のためにインデックス投資を始めた。毎月10万円程度を投資にまわせるよう日々家計管理をしている。ストレスはない。1年間、積み立てNISAとiDeCoを継続できた。それ以外にも米国ETFの入金力も確保した。

 

十分である、私の人生には何の不足もない。

私の毎日に不満はない、全く無いのだ。精神の安寧を手に入れた無双状態である。

 

このまま継続できればいい、何も変えなくていい、今の生活を守ることが私の人生の目標である。

 

独身女の苦手分野

独身女を貫こうとする私が最も苦手としているのは「結婚・出産・育児」について考えることだ。考えずに済むよう、ひたすら逃げてきたのだ。ずっと心の奥底に頑丈なカギをかけてしまっていたのだ。

こんなにも充実した私の人生に突然現れたある男性。それが今の彼氏である。その彼は頑丈な心の奥底にしまっていた想いのカギをあっさりと開けてしまった。

年は2つ下、顔は超絶イケメン、素直で勉強家で社内の信頼も厚く、友人付き合いも多い。

そして私の生活や遊びに全く干渉しないという天才的な素質の持ち主である。

10年前に一目ぼれした男性である。この男、あっさりと私に言った。

「君との子供が欲しい」と。

私の心にさざ波を起こした。今の私に「出産」について考えることほど不得意なことはない。もう36歳なのだ。これから出産して育児をするなど、考えただけで不安しか浮かんでこない。

この日をキッカケに私は「結婚・出産・育児」について考えることになった。

 

36歳

結婚を前提としたお付き合いの先には出産が待っているのかも知れない。

結婚すること自体に不安はないのだが出産となると、生物学的なタイムリミットが近いことは自覚している。

出産のリスクについての情報は世の中に溢れている。自分に当てはまるのか?と疑いながらも、つい情報収集してしまう。

彼が私の心に起こしたさざ波は寄せては引き返し、大きな波になりそうな予感がしている。自分の背中を押してくれる何かを待っているような感覚だ。

もうすでに、私は彼と家庭を作ろうとしているのだ。人間の心のあっさりと変わるものだと驚くくらいだ。

36歳、趣味も仕事もまだまだこれからだ。もっともっとやりたいこともあるのだから結婚にこだわらなくてもいいはずだ、そう思う日もあれば、出産するなら30代のうちに…という思いも生まれてきた。

完全に迷走状態だ。

 

まだまだ迷走、それもまた人生

迷走はまだまだ続くような気がしている。しかしそれもまた良いではないか。

どうせ何も持たない人生だ。

今の生活を続ければ、ほんの少しの老後資金くらいはなんとかなるだろう。

悩みが無いのが悩みだ。この場所にとどまっている理由もない。根無し草であることは間違いない。

たまには何かに悩んで迷ってもいいではないか。これもまた人生の大切なイベントだ。

ほんの少し遅めに訪れた人生のターニングポイントに立たされている状況を楽しもうではないか。

さざ波に身を任せてみるのもいいかも知れない。

流れる強い潮に向かっていく日だってあるはずだ。

人生の安寧などそう長くは続かないのだ。悩ませてくれる人がいるだけで幸せではないか。

そんな風に今思う。

焦ることはない、どうせ36歳、もう36歳、まだ36歳なのだから。

【宙組大劇場公演】Never Say Goobyを観劇。男役・真風涼帆が背中で語る。

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新型コロナウィルスの感染拡大により、初日の幕開けが延長に延長を重ねた公演でした。苦難を乗り越えたタカラジェンヌの底力を目の当たりにした瞬間です。

Top of トップスター

真風涼帆さん。トップ就任から5年めになります。早いものです。初めてお目にかかったのは、柚希礼音トップ時代の星組生の時です。あのころは、新人公演の主演を務めておられました。

世紀の大トップスター・柚希礼音さんの新人公演主演を演じるのですからそのご苦労と努力は想像するに難くありません。いや、想像絶するほどのプレッシャーとの闘いだったに違いないのです。

そんな余計なお世話はさておき…真風さんという方は、穏やかで大らかな心の持ち主ではないか、と私は勝手に想像しております。(スカイステージでお見受けする限りではありますが)

大地をゆったりと流れる大河のような印象を受けます。そんな真風さんのお人柄が私は大好きです。そして、人として憧れるのです。

小さなことに動揺せず、穏やかに冷静に真摯に舞台に臨む姿に私はいつも鼓舞されるのです。

真風さんの舞台を見終えた後は、心が緩まる感じがしますね。「あぁ、明日からも穏やかに過ごそう。小さなことでイライラしないように」と思えるのです。

Never Say Goodbyの感想

ショーが無いので、ガッツリお芝居の世界に浸るわけですが…テーマが重い( ;∀;)

ファシズムとの闘いに巻き込まれていくスペインのお話。ザックリすぎなのは承知しています(汗) 文章で説明するのがあまりに難しすぎるので割愛します…。ウィキペディアでどうぞ。

真風さん演じるジョルジュはポーランド出身でアメリカへ渡り写真家として活動しているお役。ジョルジュ自身には「故郷」と呼べる場所がない、そんな寂しさや空虚な思いを抱える男性です。米国で活動中のジョルジュはチャラいと見せかけていますが、実は心の底で「自分の使命」を探し続ける哀愁漂う大人の男なのです。

真風さん、見事に演じ切っておられました。スペインの義勇軍に参加することを決意し生涯を捧げてきたカメラを手放して戦へ向かうラストシーンでは、客席に背中を向け大地を見下ろすかのような姿で立っておられます。

その背中からは神々しい光が放たれております。

自分の人生を振り返り「あぁこれで良かったんだ、これが自分の使命なのだ、やっとここに根を下ろせる」といったような安堵の想いと、愛するキャサリン(潤花ちゃん)と出会えたことへの感謝の想いを背中で語っているようでした。

(これは完全に私の主観的解釈です。笑)

「背中で語る男役」を目の当たりにした瞬間でした。このラストシーンを見るだけでも十分価値があります。男役を極めた真風さんの背中、是非東京公演で多くの方に見て頂きたいものです。

 

ツッコみたくなるシーン

絶対ふざけてはいけない、シリアスなストーリーであることは十分理解しています。

ただ!ただ一転だけ。どうしても気になる、ツッコみたくなることがあるのです。

それは、歌で台詞を言うシーンが多すぎる…(;O;)

思いの丈を歌に乗せた方がより情感が伝わるだろう、というワイルドホーン氏の意向なのか?と考えてみたりもしましたが…普通に言葉でしゃべったらいいのに、と思わざるを得ない印象です。

例えば、ジョルジュ(真風さん)が「自分はポーランドで生まれ、医師である父の仕事・戦傷者の看病を手伝っていた。それも時代の流れと共に必要なくなり、写真家になった。世界中を旅して、美しい女のいるところへ転々とした、だから自分は根無し草なのだ」と語る台詞も歌うのです。

私はこの歌を「根無し草の歌」と呼ぶことにしました(笑)

 

また、バルセロナに戦争が起こることが見えてきてオリンピック開催は困難を極め、闘牛ができなくなるヴィセント(芹香さん)も歌うのです。

俺から闘牛を取ったら何が残るのか~♪的な歌を歌うのです。

普通に喋ってくれたらいいじゃんよ…

と思わずツッコんでしまいました。ミュージカルあるあるです笑。25年も歌劇を拝見してきましたが、どうしても慣れない台詞の歌。

なぜここで歌う?!と思ってしまうのは私だけなのでしょうか?

「闘牛を失った男の歌」とでも名付けましょうか…笑。

 

宙組のさらなる進化に期待

真風さんが宙組トップスターに就任してから5年が経ちました。そろそろ、卒業の時が近づいて来ているのではないでしょうか。

タカラジェンヌを応援する身として、避けて通れない卒業の日。トップスターを応援するのであればその思い強く、常に心に浮かんでは消えているのです。

2番手スター芹香斗亜さん、3番手スター桜木みなとさん…他宙組の生徒さん達もかなり実力をつけてこられています。

卒業の日は確実に近いと考えられます。それでも尚、真風さん率いる今の宙組がさらに新しい挑戦をし続けてくれることを願ってやみません。

こうして紡がれていく宝塚歌劇の歴史が多くの人の心を動かし、励まし、夢を与え続けてくれたのです。

少し寂しい気はするけれど、まだまだ発展していく宙組を応援したいと思うばかりです。

 

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