仕事を辞めたい理由を徹底的に考え抜く。ホントに辞めたいの?
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5日前に辞職を申し出た。その後、心境の変化が訪れている。
私は町の調剤薬局に勤めている。敷地内には診療所があるという状況を先に説明させていただく。
門前クリニックの先生の言葉
今朝、薬局前を掃除していると門前の診療所の医師から尋ねられた。「もう会社辞めるって決心しちゃったの?」と。あれ。昨日までは「会社辞めて沖縄で再就職でもしたら~?♪」なんて言っていたのに。
これは…何か真意があるのでは?と察知したので、「そうですね~…」と曖昧な返事をしてみた。こういう時は曖昧な返事を返すと決めている。相手が何かを伝えたいと強く思っていることを察知したら、白黒ハッキリさせるような返事はしない。
「はい、もう決めました」と言ってしまうのは非常に簡単だ。しかし、相手に何かしらの想いがあるとするのならばこちらははっきりとは答えず、相手が話しやすいような返答をするのが最適である。これは、単なる私の会話術である。(余談)
そして、医師は言った。「何か決定的な理由があるなら止めないよ。でも考え直す余地があるのなら、もう一度考えてみてくれないかな?こちらは業務内容が大幅に変わるので、薬局さんの体制も変わってしまうのはあまり好ましくない。そして、あなたに頼みたい仕事がある」と言った。
訪問診療を開始するにあたり、薬局の力が必要だとのことだ。
そうか…悩ましい。これは非常に魅力的な仕事である。門前の先生が一から在宅診療を始めようというのだ。
どんなことでも、スタートを切る瞬間に立ち会える仕事は非常に幸運なのだ。スタートを切ったときは鳴かず飛ばずでも、PRしたり、営業をかけて徐々に顧客が現れる。その営業方法を試行錯誤するのも実に楽しい。自分の実力を試されているような感覚に陥るのだ。時には失敗を繰り返しながら、業務を軌道に乗せる、そして自分たちなりの仕事の方法を見つけていく。その過程は本当に楽しい。
そして、先生はその業務を私にも手伝って欲しいとそう言ってくれたのだ。
信頼している仲間の言葉
今の薬局がオープンし立ち上げのメンバーとして今でも務めてくれている仲間がいる。その仲間の女性に先ほどの先生の言葉を伝えてみた。
「先生が訪問診療を手伝って欲しい」って言ってくれた、と。
そして、彼女は言った。「本当に辞めていいの?やりたいんじゃないの?」と。この7年間、何度もモンスター従業員を見過ごしてきたじゃない。のらりくらりと適当な距離感でやってきたじゃない。
60代の仕事を覚えられない従業員も、何事も情熱的で暑苦しい正義感を振りかざしてきた30代薬剤師も、意地悪で人の成果や手柄も自分の成果として横取りするような姑息な50代事務員も、一緒に乗り越えてきたじゃない。
私たちは、決してことを荒立てず、じっと耐えてきて今があるじゃない。たった一人の怪物薬剤師のために、本当に辞職するの?やりたい仕事があるのなら、邁進してよ…と。
本当はやめたくないの?と彼女は私に問いかけた
自分からでた驚きの言葉
彼女からの問いかけに私はついに言葉にしてしまった。
「あの怪物薬剤師が辞めてくれればいいのに」と。
最悪だ。こんな言葉は絶対に口にしてはいけない。しかし結局それなのだ。怪物薬剤師さえいなければ、今の職場は天国だ。
言葉にしてみて気が付いた。私は、怪物薬剤師のことが苦手なのだ。その怪物っぷり(遅刻、私語、だらしのない身なり)が生理的に受け付けないのだ。
しかし、怪物薬剤師はすでに61歳である。退職はしないだろう。会社が許せば定年はない。言ってしまえば、老害である。
学ぶ意欲もなく、大声で投薬をし患者さんのプライバシーも考えない。ピッキングもままならない。字が汚くて、監査支援シートには何が書いてあるのかも判別できない。
礼儀正しい患者さんを怒らせ、不快な思いをさせる。業務終了時にはトイレに閉じこもり、時間を稼いでいる。
最悪だ。私には受け入れられない。会社員としてマナーがなっていない。信頼できない。
居なくなって欲しい、それが私の本音だった。こんなドライで冷徹な感情を自分が持ち褪せていることの方に驚いた。受け入れがたい人を受け入れようとするあまり、心はすさんでいった。受け入れられない自分を責め、負けを認めたくなった。
この怪物薬剤師にすべてを渡してしまおう。もうこの人にお願いして私は尻尾巻いて逃げてしまおう。
そんな想いに駆られてしまったのだ。とどのつまり、私は怪物薬剤師が辞めてくれたらそれでいいと思っている。現実にはそうならないのだが。
こんな最低な感情を持つ自分にも情けなくなる。もっと寛容になればいいのにと思う。
36歳、十分寛容さを身に着けた自負があった。でもそれは、周囲の皆さんの温かい常識的な配慮に恵まれていたことに気づく。
今、私はどうしたらいいんだろう。取り急ぎ、出た答えは「怪物薬剤師」と関わらないことにする、ということである。